美和ダム60年のあゆみ

計画の経緯・背景とダム建設

三峰川は、その流域の大半を山岳地帯とし、中央構造線沿いにあって激しい土砂崩落があります。加えて年間降水量は1,800ミリから2,200ミリという多雨地帯です。大雨の際には多量の土砂を含む濁流が三峰川のみならず合流先に天竜峡にまで達し、未(ひつじ)の満水を始めとする歴史的な水害をもたらしていました。こうした背景もあって、治水と利水を総合的に開発する河川総合開発事業が三峰川でも計画されました。

建設前の美和村の風景

美和ダムができる以前でも、洪水を防ぐ様々な工夫がされましたが、大雨のたびに洪水が起こり、財産ばかりか命までうばわれることがありました。明治はじめから美和ダムができるまでの90年の間の大洪水は38回。平均すると10年に4回、つまり2年に1回ちかくは洪水被害を受けていたのです。災害を未然に防ぐため、米国の「TVA」(テネシー川流域開発公社の事業)を参考として、昭和25年に「長野県総合開発計画」により天竜川の抜本的治水対策が検討され、三峰川高遠地点に多目的ダムが計画されました。昭和26年に「国土総合開発法」が制定され、当地域が「天竜東三河総合特定地域」採択されるとともに、開発計画の一環として美和ダムを中心とした三峰川の総合開発が本格的に実施されることとなりました。

美和ダム完成までの歩み

美和ダム 洪水実績・再開発事業

洪水実績

美和ダムでは、完成から平成28年度末までに下記の洪水調節を行い、天竜川沿川下流域の洪水に寄与してきました。

美和ダム再開発事業

美和ダム再開発事業の必要性

天竜川水系河川整備計画(平成21年7月)において、戦後最大規模相当の昭和58年9月洪水、平成18年7月洪水と同規模の洪水が発生しても洪水を安全に流下させることを目標として、美和ダム等による洪水調節機能を強化とともに、河道掘削、樹木伐開等の河道整備を図ることとしています。一方、美和ダムは、昭和34年12月運用開始前の8月、昭和36年6月と大出水が続き、ダム完成後3ヶ年で当初の計画堆砂量を超える約680万m3の大量の土砂が貯水池に流入したことから、昭和41年に貯水池容量配分の見直しを行い(有効容量約500万m3の減)、貯水池を運用することにしました。しかし、その後も昭和47年7月、昭和57年7月、昭和委58年9月と大洪水が発生し、約790m3の大量の土砂が貯水池に流入したことにより、洪水調節機能や利水機能に支障が生じることが予測されたため、貯水池の機能保全を図る抜本的な対策が必要となりました。

1.事業の目的

  • 既設美和ダムの洪水調節機能を強化し、天竜川上流部の洪水氾濫から人々の暮らしを守る。
  • 美和ダム貯水池への堆砂を抑制し、ダム機能の保全を図る。

2.計画内容

<洪水調節>

戦後最大規模相当の洪水に対して、基準地点天竜峡において、約200m3/sの流量を低減(水位低下量約0.6m)させる。

<貯水池堆砂対策>

土砂バイパス施設(土砂バイパストンネル、分派堰、貯砂ダム)を整備し、貯水池への土砂流入を抑制するとともに、ダム地点における土砂移動の連続性を確保する。また、湖内堆砂対策施設を整備し、貯水池内への堆砂を抑制するとともに、ダム地点における土砂移動の連続性を強化する。

3.美和ダム再開発前後の諸元(洪水調節機能強化)

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