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被災地周辺の地質
被災地の水系と地質構造

天竜川上流流域地質構造図

(出典:天竜川上流域地質図(縮尺1:50000) 天竜川上流流域地質構造図
社団法人 中部建設協会発行(建設省天竜川上流工事事務所監修)に加筆)
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地質の概要

領家帯 Ryokebelt

 西南日本内帯の最外側を構成する構造単元。領家変成岩および大量の領家花崗岩からなり、領家変成帯ともいう。変成岩は紅柱石一珪線石の組合せで代表され、花崗岩の一部は白亜紀の酸性火砕岩を貫き、和泉層群に覆われる。南側を中央構造線に限られ、北側は東部で美濃一丹波帯と漸移し、西部で三郡帯と末武川構造線で接する所もあるが、後領家花崗岩が広く貫入し、境界の不明な所が多い。中央構造線を前縁としてアジア大陸に広く行われた酸性火成活動の一環として白亜紀に形成されたものである。領家帯は小林貞一(1941)により白亜紀における彼の佐川造山運動の中軸変成帯とされ、その後古生代末〜中生代初めの本州造山運動によるものと考えられたこともあった。

(出典:地学事典 清水大吉郎・山田哲雄)

 被災地の領家帯は、主として点紋粘板岩で砕片化または細片化しています。砂岩の細礫も見られ,少量のチャートおよび石灰岩を含んでいます。

第四紀(だいよんき) Quaternary period

 地質時代最後の紀で更新世と完新世に区分。J.Desnoyers(1829)は第三紀に続く紀として第四紀を提案。C.Lyell(1833)は第三紀の後に現世(Recent)を置き、人類の出現以来の時期を指示するつもりであった。また、E.Forbes(1846)はこの時代は氷河で特徴づけられるとした。これらのことから、第四紀の別名として「人類紀」や「氷河時代」という言葉がしばしば使用される。1995年現在、一般に用いられている第四紀の期間はイタリアのプリカを模式地とするおよそ1.6Ma以降。この時代の堆積岩や火成岩を第四系という。

(出典:地学事典 熊井久雄・小林国夫)

 被災地の土砂は風化土が堆積したものです。砂、礫、粘土、火山灰の混ざる崩積土です。諏訪、岡谷、辰野の被災地の土砂がこれで、松倉川地すべり地は三波川変成帯の結晶片岩類、桑沢、深沢及び前沢川土石流は、領家帯の土砂です。

※:Ma:100万年を示します

外帯及びフォッサ・マグナ地帯の花崗岩類

 1)甲斐駒花崗岩(かいこまかこうがん) Kaikoma Granite
 甲斐駒ケ岳山頂や摩利支天を形成する本岩は、鳳凰山花崗岩の周縁相としてそのまわりをふちどっています。両者の間はせまい幅で漸移しています。岩相は粗粒優白質の含角閃石黒雲母花崗岩で、斑状構造もごく稀なため、鳳鳳山花崗岩との区別は明瞭です。
 構成鉱物は角閃石をまったく含みませんが、含む場合でもごく少量であること、有色鉱物の量比が少ないことを除けば鳳凰山花崗岩と同じです。甲斐駒花崗岩が優白色に富み粗粒塊状のため、駒ケ岳山頂部での風化によるマサ化が目立ち、遠望すれば白雪をいただいたように白く見えます。また、戸台川上流の赤河原では、本花崗岩の巨大な転石が累積し、風化を受けて赤色のさびが生じているため、赤河原の名が残っています。

甲斐駒花崗岩

2)鳳凰山花崗岩(ほうおうさんかこうかん) Hoohzan Granite
 赤石山地東北縁に分布する西南日本外帯の花崗岩で、一部に強い流理構造が目だつ。四万十川累層群を非調和に貫き、接触変成作用を与える。中生層の千枚岩形成に引き続いて貫入したと考えられる。斑状構造のないやや優白質な角閃石含有黒雲母花崗岩の甲斐駒花崗岩は本岩の周縁相で、その角閃石・黒雲母・カリ長石のK-Ar年代は、それぞれ14・12・lOMaです。焼地蔵花崗岩に貫かれる。模式地は釜無川支流の尾白川.大塚弥之助(1940)命名。

(出典:地学事典 山田哲雄)

※:マグマから冷却固結するとき鉱物の配列が流れるようになること

鳳凰山花崗岩

塩嶺塁層(えんれいるいそう) Enreiformation

 諏訪湖周辺に分布する鮮新〜下部更新統。層厚約1,900m。不整合を境に上・下に区分。下部の最下部は砂礫や泥岩からなる四沢砂礫層で、これを厚い安山岩溶岩・火砕岩・泥流堆積物が覆う。溶岩は東偏および西偏に逆帯磁。上部は輝石安山岩溶岩。百瀬寛一ほか(1959)命名。

(出典:地学事典 酒井潤一・赤羽貞幸)

 被災地の諏訪、岡谷、辰野はこの地層の崩積土が土石流化したものです。

守屋層(もりやそう) Moriyaformation

 長野県の諏訪湖南西部,守屋山を中心に分布する下〜中部中新統。糸魚川一静岡構造線に接してフォッサマグナの外側に分布するが、岩相の特徴からフォッサマグナの地層として扱われる。礫岩・砂岩・泥岩からなる下部層と、グリーンタフ層からなる上部層に区分。下部層はさらに、白沢砂岩礫岩・古屋敷泥岩・田無川凝灰岩砂岩・後山異色泥岩・高部礫岩の各部層、上半部は熊久保安山岩・唐沢川酸性火山岩部層に区分。領家変成岩を直接の基盤とする。全層厚2,300m. 白沢部層からは二枚貝化石が産出。後山部層からは大型有孔虫化石Miogypsina kotoiを産出し、N8に相当。フォッサマグナ内部の内村層に対比。本間不二男(1931)命名。

(出典:地球科学 36巻 圏吉野博厚(1982)、地学事典 小坂共栄)

三波川変成帯(さんばがわへんせいたい) Sanbagawa Metamorphic belt

 関東山地にはじまり、西南日本の中央構造線の外側に接して、中部地方の天竜川地域から紀伊半島・四国をへて九州佐賀関半島まで延長700km余にわたる結晶片岩地。 一般に北側に高変成度の点紋帯が,南側に低変成度の無点紋帯がある。また四国中央部では清水(きよみず)構造帯を境に北側の三波川帯プロパーと南の三波川南縁帯に分けられる。南の秩父累帯とは初荷鉾構造帯で境されるとするのが従来定説であったが、最近、構造帯の存在が明確でなく、三波川帯の結晶片岩と秩父累帯の古生層が層序的に漸移するところのあることがわかり、また三波川変成作用が秩父累帯に深く及んでいることがわかったので、両者は漸移関係にあると考えられる。
 しかし、西南日本外側の帯状構造における一つの構造単元として三波川帯を考えるとき、南限は御荷鉾緑色岩類の分布する背斜帯とするのがよい。三波川変成帯は古くはArcheanと考えられた(小藤文次郎, 1888)。
 小林貞一(1941)は領家変成帯とともに彼の佐川造山帯の中軸変成帯とし、そのミオマグマチック帯とみなした。一方、最近では本州造山帯の変成帯とする意見も多い。関東以東の延長不明。九州中部以西の延長については八代南方に延びるとするもの、中央構造線(臼杵一八代線)で切られるとするものなど、諸説がある。

(出典:地学事典 清水大吉郎・田切美智雄)

三波川変成帯では、主として黒色片岩、緑色片岩、蛇紋岩などが分布しています。

圧砕岩(あっさいがん) Mylonite

 固結した岩石がいちじるしい圧砕作用をうけ、すべての原鉱物が破砕されつくして、微粒集合体に変わったもの。C.Lapwortb(1885)命名。圧砕岩ともいい、この作用をマイロナイト化作用という。マイロナイト化作用の進行とともに細粒化が進行し、生地にしま構造が現われ,眼球状の残晶を残すが、さらに極端に粒状化が進むと、眼球状残晶は完全に消滅し、微粒集合体となる。この状態となった岩石をマイロナイト(狭義)という。しかし、現在ではその中間段階の岩石をもマイロナイト(広義)ということがある。変成再結晶作用が明らかになるとブラストマイロナイトという。

(出典:地学事典 小島丈児)

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