ざざむし通信 第25号(2013/04/16) カテゴリー ヘッダーの画像

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ざざむし通信 第25号(2013/04/16)

歩いて桜をめでる(平成25年4月13日 土)

桜ウォーキング

伊那市役所から高遠ダムは河川の距離で約10km。堤防を基本に歩くと、おおよそ11kmでしょうか。のんびり歩いて3時間。三峰川沿いの桜や風景を楽しみながら、高遠城址公園までウォーキングするイベントも今年で9回目ということです。天気に恵まれ、40名の参加で歩きました。

霞堤防の説明、堤防のサクラの由来、参加者のあいだでのおしゃべりを楽しみ、満開+満員の高遠城址公園へ。交通渋滞を横目で見ながらのウォーキング。シャトルバスでの観桜を急遽変更して参加した愛知県の女性の記事が、長野日報さんに掲載されていました。

帰りはさすがにシャトルバスを利用しましたが、渋滞が長引いているのか、30分ほど並びました。今度は、城跡という目で、訪れたいと思います。確か池波正太郎著「真田太平記」の第1巻の冒頭が、高遠城攻防戦だったと思います。そういう目でみると、ひと味違うかも。

さくらの話題(平成25年4月9日 火)

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伊那市狐島にある「見通し桜」。桜のある狐島村、対岸の荒井村、西町村の協会を定める基準となった桜だそうです。暴れ川の付近では、基準となるような木や石が残っていることがあります。天竜川がいまの伊那市街地を大暴れしていたので、この桜の木が視準となったのでしょう。

場所は今の堤防とは違いますが、当時の堤防の付近と想定されます。対となる対岸側の基準となるものですが、近くの案内看板には「伊那宿北にある伯先桜といわれていますが定かではありません」と記されていました。

再訪:六道の堤(平成25年4月8日 月)

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2年ほど前になるでしょう。ため池の堤を補修して湛水をしました。堤の補修は長野県さんが行いましたが、部分的に国土交通省も協力しています。

1つに、ベストアングルには入らない手前側の護岸には、激特事業で不要となったブロックを貼付けております。これは、事業費圧縮のため+激特での不要ブロックの再利用(環境負荷軽減)のため。もう1つは中之島の補強のために、これも国の砂防工事で不要となる巨石を積み上げたもの。

協力した工事がきちんと要をなしているのか、見てきました。折しも満開のサクラ。カメラ撮影の人も多かったです。観察結果では良好のようでした。江戸時代からの一番井の温水ため池ですが、その当時はあまり知識もなく手がける対象物の重要さに気がついていませんでした。

護岸からの漏水(平成25年4月12日 金)

護岸漏水

護岸にかぶっていた土を撤去したら、水が漏れ出てきました。伊那市街地の護岸は玉石だけで積まれた構造のものが多く、ちょっと不安です。

ただちに壊れるわけではないのですが、堤防の土を水がいっしょに持っていくと、空洞ができてしまうことも想定しなければなりません。そのために水の出所を探っているところですが、雑用排水の水路が近くにありますから、もしかしたらこれが原因かもしれません。

いろいろなことが起きます。

地域史の勉強(平成25年4月4日 木)

天白社

矢島信之さんに教えを請うため、技術係長とともに矢島さん宅におじゃましました。熱心な説明と貴重な資料を見せていただき、勉強になりました。

私たちが半年かけてたどり着いた三峰川霞堤防の機能と効果、成立史と同じ結論を矢島氏が導いていて、ビックリしました。何より、利吉おじいさまのつけていた日記「家内日勤簿」が興味深かったです。自分の日記にとどまらず、家族全員の行動記録を克明に残しています。これによって、地域がかり出された堤防築堤の時期がわかったと説明していただきました。

美篶の歌に詠み込まれた三峰川洪水との戦い、地域の信仰と河川との関係、水防工法の工夫や、灌漑の苦労など、話しも多岐にわたりました。

お互いに今後の情報交換の継続を約束し、とても充実した出会いとなりました。

続・水路トンネルのなぞ解き(平成25年4月3日 水)

高遠町図書館と桜

当通信で2月22日に記載の高遠の水路トンネルについて、高遠図書館に行けばわかると思い、調べてみました。高遠の資料には具体的な記述があまりなく、暗礁に乗り上げるのかなと思っていましたが、「美篶区誌」で記述を発見しました。

トンネルの工事は「二番井、三峰川口隧道工事」と記述のあるものではないか。昭和16年の災害で被害を受けたため、昭和17年に完成して通水祝いをしたようです。思ったとおり二番井の水路トンネルでしたが、トンネルのルートや時代は判然としないままです。坑口の巻き立てコンクリートはもう少し新しそう。ルートの疑問は今も続くのですが、昭和16年と17年のトンネル工事以降の事実があるらしいことがわかりました。

執筆者の矢島信之さんに直接いただいた雑誌「伊那路」(平成20年6月第52巻6号)にある「美篶の二番井の昔と今」です。これによると、昭和25年から27年にかけて行われた「みすゞ隧道」。矢島さんによると、開水路のほかに高遠の街中を抜いたトンネルがあったという。

昭和33年に完成した美和ダム、高遠ダムの三峰川総合開発で安定的に灌漑用水が確保でき、二番井の芦沢までのルートは役割を終えました。今ではトンネルや水路敷の一部、揚水ポンプの土台などが残っているということのようです。「みすゞ隧道」は短命だったということですが、開水路で不自由はなかったと思うのですが、なぜ高価な隧道工事を行ったのか、矢島氏も考察を行っていますが、納得できる理由がまだ見つかりません。

またも油です(平成25年4月1日 月)

油事故(竜中)

委託している河川巡視の報告でした。伊那市竜中を流れる水路で油膜を発見。水路を見に行くと、天竜川に合流する手前でゴミに緑色の油が付着していました。オイルフェンスとマットで流出の防止を図り、ゴミを撤去。付近に付着した油の二次的流出防止のために、しばらくフェンスとマットは設置したままとしました。

油の正体は不明ですが、機械油のようなものでしょうか。始末は面倒かもしれませんが、水路や川に流そうとは、くれぐれも思わないでください。

年度が始まった初日の油事故。水質事故にはご用心。