事務所関連情報
ざざむし通信 第21号(2012/12/13)
土木の楽しみ(平成24年12月12日 水)
土木のイメージ・・・談合や政治献金問題、きつい・危険・きたない、コンクリートから人へなど、明るい材料はありません。しかし、土木の本質って何でしょうか。社会資本整備という言葉もわかりにくいですね。
土木学会では、「普通の暮らしのためには、どこかで、誰かが、道や緑や川の事を考えていくことが必要なのかもしれません。それを考えていくのが、土木の仕事です」と説明しています。
私たち土木技術者は英語ではCivil Engineerといい、市民の生活を支える技術者だと思っています。歴史的にも文明・文化を築くためには安全な土地、豊かな自然、生活に必要な水が必要で、そのために必要な技術を提供してきたのが先輩技術者です。
技術は行政や建設会社が提供するだけでなく、地域の知恵や工夫が土木技術であったりするわけです。災害を克服する工夫や格闘の痕跡(歴史)を探すことは、土木に携わる私たちには楽しみであるわけです。
というわけで、写真は明治時代の長野県技術者が、三峰川の霞堤防(実態は導流堤)を設計した図面です。赤書きが計画したもので、ほぼこの設計に沿って今の堤防がつくられています。
安全わんこ(平成24年12月11日 火)
今年度の安全パトロールでは、伊那出張所独自の取り組みとして、簡単な1枚紙の資料をつけております。活字ばかりでは読むことも苦しくなってしまいますから、ちょっとしたマンガをつけるようにしました。
自作のマンガで恥ずかしく、いままで公開しておりませんでしたが、今回初公開してみます。
これを描き始めたのは、安全パトロール参加の皆さんへというよりは、その工事の作業員さんたちに向けたものです。過去の工事の事例を興味をもって考えていただくためなのです。
効果があったのか、なかったのか、それはよくわからないのですが、何かこういう形に変化させておいた方が、風化しない・・・かもしれません。
これは、今月12月の4コマです。登場人物は、犬を擬人化したものです。なぜ? なぜかな。人よりも描きやすく、個人的にも犬好きだからですね。
来年の春は大規模な水防演習が(平成24年12月11日 火)
来年、平成25年5月26日(日)は、12年ぶりの天竜川上流部での大規模な水防演習が予定されています。
そのシナリオづくりを長野県と天竜川上流河川事務所で進めていると思います。伊那谷で大きな洪水があれば、当然土砂災害も考えておかねばなりません。水防団が行う水防演習の主会場は飯田市で調整中で、土砂災害への対応訓練を伊那市内で行おうとしています。
演習の想定では「三峰川上流域において、特に大きな土砂崩落が発生し、その崩落土砂は三峰川河道を閉塞し、天然ダムが形成される」とあります。ちょっと恐い想定ですね。
具体的な場所も内容も調整中で、まだお話しできる段階にはありませんが、この通信でも、伊那での訓練関連情報をお知らせしていきたいと思います。
電柱(でんちゅう)(平成24年12月4日 火)
宮沢賢治の童話に「月夜のでんしんばしら」があります。学生時代読んだと思うのですが、あまり覚えていません。夜になると電信柱が歩きだす話しだったような。当然、その時代の電信柱は木でできていたでしょう。
電気を通すためのものは電力柱というらしいですが、木材(丸太)で作られた木柱は今や少なくなり、目にすることもなくなってきましたね。
長野県では戦後、電柱の用材としてカラマツが植えられたと聞きます。収穫期を迎えた現在は、残念ながら電柱の用途として使われることがなくなっています。この天竜川に隣接するやや傾いた木柱はこの付近で唯一のものだそうですが、この電柱が不要となり、近く撤去となります。
ちょっとしたノスタルジーを感じますね。
三峰川の底(平成24年12月4日 火)
三峰川で工事をしていましたら、一部分で手で砕けるような花崗岩がでてきました。中央構造線よりも西側なので、当然花崗岩の分布域なのですが、河川の扇状地で基盤となる岩がでてくることはめずらしいと思います。
もちろん、扇状地といっても扇頂部というオオギの開き始める位置なのですが、三峰川自体が下がっているということでしょう。
今後の三峰川は、注意して見ていかなければなりません。
小出島区と昭和13年の洪水(平成24年12月2日 月)
昭和13年7月は、西春近小出島で堤防が決壊するような大きな水害がありました。詳しい気象状況はわかりませんが、梅雨前線豪雨だと思われます。伊那谷の災害が6月末から7月中旬にかけての大雨は、注意しなければなりません。昭和36年6月28日、平成18年7月は歴史的な水害となりました。江戸時代の「未の満水」も6月末です。
現在の石材屋さんあたりの大川除と呼ばれた堤防が、約200mほどにわたって決壊。旧道からの一帯は大正時代に耕地整理をしたばかりだったが、天竜川と三峰川の洪水ですべて浸水。
この辺りのいきさつは、「小出土地改良区とその周辺 13災害から五十年」に詳しく描かれています。こういった地域の記録はとても参考になります。しかしこの写真。映画の1シーンのようです。
辰野町下川原のいま(平成24年11月28日 水)
堤防はご存じのとおり、土でできています。天竜川のように暴れる急流河川では、土だけでは洪水でどんどん削られてしまうので、水のあたる場所には護岸という石やコンクリートでできた「よろい」をまといます。
ただ、長い堤防を観察すると、それだけではなさそうですね。橋があり、排水施設があり、取水施設があり、いろいろな施設も付属しています。これらの施設は、洪水でも安全なように、様々なきびしい基準でつくられますが、土と大きなコンクリート構造物は時として馴染みがわるく、ちょっとしたひずみが生じることがあります。
そうした兆候を察知するためにも河川巡視は有効なのです。今回、取水のための施設と護岸の接合部にずれが生じていましたので、補修を行いました。護岸のブロックを外してみたのですが、空洞や陥没などの大きな問題はありませんでした。中央自動車道のトンネルの事故から、施設の維持管理が注目されていますね。
伊那市の古川の不思議(平成24年11月22日 木)
伊那市の古川。伊那市古町を流れていたから古川なのか、古い時代の天竜川だったからなのか、わかりません。
明治時代の地図にも古川は今の位置にありますが、北河原一帯の水を集め、段丘からの沢水を集めて大橋の上流に流れていた水路のようです。昭和32年に箕輪町に三日町頭首工ができ、天竜川からの取水が容易になると、その天竜川からの水は棚沢川をサイフォンでくぐり、この一帯を潤しました。その水があつまって古川に流れたのが、昭和時代の古川です。
天竜川合流点付近の古川は、明治の天竜川通船時代に舟繋場としても利用されていたようです。図書館で資料を色々探したのですが、湧水の有無は定かではありませんが、段丘の脚部からの湧水はあった可能性があります。水利用というよりは地区排水としての古川だったのか。地域の資料にあまり登場しない古川の実像とは? なぞが多い川です。