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揖斐川治水の歴史

記録に残っている治水のはじまりは戦国時代

木曽川水系は、16 世紀頃から輪中が造られてきました。本格的な治水事業として現在に伝えられているものは、天正14 年(1586)の木曽川大洪水による尾張国の荒廃を救うため、豊臣秀吉によって文禄2 年(1593)から始められた「文禄の治水」です。その後、江戸時代に入って、尾張に徳川義直が封ぜられると、尾張の国を水害から守るため、木曽川の左岸犬山市より弥富市に至る約47km にわたり、世に言う「御囲堤(おかこいづつみ)」が築堤されました。しかし、長良川及び揖斐川が流れている木曽川右岸域の美濃側では大々的な築堤工事は実施されず、常襲的な洪水氾濫に見舞われ、ひとたび氾濫すれば湛水は長期間続きました。その後、宝暦4 年(1754)に薩摩藩による御手伝普請(おてつだいぶしん)によって逆川(ぎゃくがわ)洗堰、大榑川(おおぐれがわ)洗堰、油島の締切り工事等の改修が行われました。これが木曽三川分流工事のはじまりです。

現在の御囲堤

揖斐川の治水目標

平成19 年(2007)に策定した木曽川水系河川整備基本方針では、揖斐川におけるこれまでの出水状況及び自然的・社会的条件をかんがみ、揖斐川の基本高水のピーク流量は、万石地点において6,300m3/s とし、平成20年(2008)に策定した木曽川水系河川整備計画では、河川整備基本方針に基づいた当面(概ね30年間)の河川整備の目標として、揖斐川においては、戦後最大洪水となる昭和50年(1975 ) 8 月洪水及び平成14 年(2002)7 月洪水と同規模の洪水が発生しても安全に流下させることを目標としました。
現在、河川整備計画に基づく河川改修などが行われており、横山ダムでは平成2年(1990)から実施していた再開発事業が平成23年(2011)に完成し、平成20年(2008)から運用を開始した徳山ダムと連携した防災操作(洪水調節)により効果をあげています。

再開発事業後の横山ダム

徳山ダムと連携した防災操作(洪水調節)についてはこちら