(県下一の酪農地帯へ)
ここはかつて源頼朝が“富士の巻狩り”(1193年)をしたことで有名なところです。
昭和12年から終戦までは、旧陸軍少年戦車兵学校の演習地として使われていました。戦後昭和21年緊急開拓事業が始まり、この地が国営開拓地になり、地元農家・長野県下伊那郡から、満州からの引揚者など計360戸の入植がありました。
昭和21年~24年は入植のための開拓期、昭和25年は米・麦・野菜等農業を畜産に転換することに努め、昭和29年、「集約酪農指定地域」に指定され、一気に西富士酪農の基盤が確立されました。当初135戸あった酪農家は、現在は55戸に減少していますが、1000ヘクタールの草地に、成牛4,500頭、年間32,000トンもの牛乳を生産し、県下一の酪農地帯を作っています。
朝霧高原の涼しい気候は、牧草の生育と、体温の高い牛(38~40℃)の体に適しております。さらに多く降る雨は牧草の生育を促します。又朝霧高原の地形は標高600m~900mへと徐々に高くなっており、南向きで日当りがよく、牧草地の水はけも良いという、酪農に適したものとなっています。家畜から排出される糞尿は草地に完全に還元する「土→草→牛」の」循環型の草地酪農として経営されています。 |