ふじあざみ65号(3)
富士山に暮らす 豚の放牧 富士山のすそ野に広がる富士宮市は豊富な湧水と、高原の清涼な気候に恵まれ、明治時代より養豚が盛んに行われています。
 富士朝霧高原は、1000haもの広大な牧草地をかかえています。この大自然の中で安全でおいしい豚肉を提供したいという思いから、10年前地元酪農専門農協である富士開拓農協が音頭をとり、豚の放牧が始まったもので、全国でもまだ珍しい飼育方法です。
 放牧豚は、富士のすそ野の広大な原野の中で完全放牧により育てられます。草を食べ、土を食べ、ドロンコ遊びをし、野外で寝込み、一般豚の80倍以上の飼育面積(一頭当り20坪以上)で自由に駆け巡り、一般豚の100倍の運動量を示しています。
 体重30kgで放牧され、出荷時の110kgまで育つのに3ヶ月以上、富士山をバックにストレスフリーの環境でのびのびと飼育されます。(一般豚は2ヶ月で110kgに育ちます。)
放牧風景写真
資料タンク写真
放牧風景
資料タンク
 与える飼料は、非遺伝子組み変え、抗性物質不使用のものが使われ、安全・安心に徹底的にこだわって飼育されています。
 さらに排出する糞尿は放牧場での自然還元であり、肥料となり草となりエサとなります。放牧は真冬でも行なわれて、富士山をバックに雪の中を走り回る豚のめずらしい姿を見ることができます。
 現在の放牧場は10牧区あり、約300頭余りの豚を放牧し、年間700頭の出荷をしています。その肉質はトップクラスの評価を受けています。
 朝霧高原の広大な原野は酪農と同様、豚の放牧にも適し、地域の人々の生活に大きな恵みとなっています。
富士山に寄せる思い 今年も8月5日(日)富士山登山駅伝が行われました。 
 富士山登山駅伝競走は、毎年8月に行われます。御殿場市陸上競技場から富士山頂の浅間神社までを各チーム6人が往復して時間を競うレース。11区間、46.37km、標高差3199m、気温差約15℃の大変過酷な条件の中、体力の限界を超え各チームが挑みます。今回は、32回を数える駅伝競走の中で16回の優勝、昨年迄8連覇していた滝ヶ原自衛隊チームの監督、太田康幸氏に駅伝競走について語っていただきました。
 「駅伝競走に対するトレーニングは、自衛隊の通常の訓練とは別に、早朝や勤務終了後に行います。休日に自主的に行う者もいます。1ヶ月前からは、高所に体を慣らすために8合目の山小屋で合宿訓練も行います。又山頂へのコースは空気がうすくなってゆく所を走るため、自分との闘いに勝てる様精神面のトレーニング、砂地を疲れずに上る走法のトレーニング等を行って大会にそなえています。
 富士山の魅力は、何といっても自然の雄大さです。8合目で見た、日没の時に雲海に映る「影富士」、下界に広がる大パノラマ、その美しさに圧倒されてしまいます。
 駅伝競走での強い思いは、日本で一番高い山、きびしい条件下の中、一番最初に登り、一番最初に降りてくるという自衛隊員の並はずれた体力を国民にアピールしてゆきたいことです。今年は優勝を逃しましたが、来年は絶対優勝します。」と、力強い言葉で締めていただきました。

太田康幸氏 写真

プロフィール

★太田康幸氏
★昭和41年兵庫県生れ
★普通科教導連隊第4中隊


上りコース
下りコース

災害体験談 昭和54年の土石流災害により潤井川が氾らん!!
昭和54年10月台風20号により、大沢崩れに端を発する土石流が発生、富士宮市の潤井川が増水し、下流域に大きな被害を与えました。その当時の体験を大中里在住の渡井正二さん(現在75才)にお聞きしました。
渡井正二 氏
渡井正二 氏写真

「潤井川が増水しているとの事で、午後家にもどると、増水した水が堤防を乗りこえて、田畑・道路へと流れ出し、すでに20~30cmぐらい水没していました。家の中へは水は入っていませんでしたが、みるみるうちに水が流れ込み、何か目まいがする様な感覚に陥りました。あっという間に水かさを増し、たたみが浮き上がってきたのです。床から1mぐらいの高さまで達してしまいました。大切にしていた本や貴重な資料等が水びたしになり大半はすてることになってしまいました。
 大あわてで、家族ともども近くの高台にある親類の家にひなんしました。私の家の下流「滝戸橋」で増水した水が逆流し、この付近一帯が床上まで浸水し、大きな被害をうけました。自分の体がまたたく間に腰上迄水に浸ってしまう恐怖は今でもぞっとします。」

水没地帯地図

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