三六災害とは

私たちが住む伊那谷は、西に中央アルプス、東に南アルプスに囲まれた美しい自然豊かな地域です。しかし、ときに美しい自然は、猛威を振るうことがあります。昭和36年(1961年)、台風の接近と梅雨前線の停滞による激しい雨が伊那谷を襲い、伊那谷の各地で川の氾濫、土石流、地すべりが発生しました。何十年に一度か百年に一度くらいにしか起きないといわれるほどの大災害となりました。家や田畑が土石流に押し流され、集落ごと水びたしになったり、土石流とともに無くなったりした集落もあります。三六災害による死者・行方不明者は136名、家屋の全壊・流失・半壊は1,500戸にも及びました。

土石流に埋まった集落

土石流に埋まった集落(中川村四徳)

天竜川が氾濫した様子

天竜川が氾濫した様子(飯田市阿島橋上空から上流を望む)

三六災害はどのようにして発生したのか

 三六災害は、梅雨終盤の豪雨が引き金となりました。台風の接近と梅雨前線の停滞により、飯田観測所では総雨量579mmを記録しました。特に、6月27日の降水量は325mmに達しました。1週間で1年間に降る雨量の3割を超える、まさに「豪雨」となりました。
 三六災害による被害が大きくなったのは、豪雨以外にも、伊那谷のもともとの自然環境の特性が要因として挙げられます。
 伊那谷は、高い急峻な山々に囲まれ、気象条件によっては集中的に雨が降りやすい地形であること、また、中央構造線などの断層が多く、さらに、風化しやすい花崗岩など地質的に崩れやすい地域という特性も持っています。
 そのような特性を持つ谷あいに、集落や農耕地が広がっているため、被害がより大きくなりました。

これまでに伊那谷で水害・土砂災害が発生した地域

これまでに伊那谷で水害・土砂災害が発生した地域

三六災害の特徴

河川の氾濫

 河川の氾濫とは、川の水などが増して勢いよくあふれ出ることです。
 三六災害のとき、天竜川では土石流などに運ばれた大量の土砂によって、河床が埋まっていき、川底が高くなりました。そこに、さらに大量の水が流れ込んだため、堤防からあふれ、堤外地に氾濫したのです。
 例えば、飯田市川路では、流れが少しゆるやかになる場所に大量の土砂が堆積しました。そのため、川の流れが大きくうねり、川の水は堤防を乗り越え、多くの家々や農耕地が水に浸かりました。
 三六災害では、たとえば飯田市で、30mmを超える激しい雨が断続的に降り続きました。下表に示すように、一般的には、時間雨量が20mmを超え始めると、がけ崩れや土石流が発生する危険性が高くなります。そのため、三六災害では、各地で早い段階から、多くの災害が発生する警戒レベルに達していたと思われます。

連続降雨量分布図

三六災害が発生した際の梅雨前線豪雨連続降雨量分布図(単位/mm)6/23~30日

時間雨量と災害への警戒

時間雨量と災害への警戒

土砂災害

 土砂災害は、一般に、大きく「土石流」、「がけ崩れ」、「地すべり」の3つの類型に分けられます。三六災害の折には各地で土石流やがけ崩れが発生し、周囲の集落や農耕地に大被害をもたらしました。例えば、三峰川の上流にあった芝平、奥浦、戸草(伊那市)、四徳(中川村)、北川(大鹿村)などでは、大量の土石流により集落ごと押し流され、集落ごと移転することになりました。
 伊那谷では、たくさんの集落が扇状地の上に発達しています。扇状地とは、土砂などが山側を頂点として扇状に堆積した地形のことで、天竜川の両岸を山に囲まれた伊那谷ではごく普通にみられる地形です。扇状地は、地形が平らで造成しやすく人が生活するには好都合です。
 しかし、この扇状地を作っているのは砂や石です。その砂や石-これを礫(れき)といいます-を運んだのは、「土石流」に他なりません。造成している工事現場では、ゴロゴロとした石や岩がたくさん出ている様子を見ることがあります。これは、かつて、その場所で土石流が発生したことを物語っています。
 すなわち、私たちは、土石流が発生した場所に家や道路を作っており、いわば、災害の跡地に生活しているのです。
 したがって、伊那谷では、強い雨が降ってきたときには、早い段階から災害への警戒を強め、避難などの対応が重要と考えられます。

大量の土石流により一夜でできた扇状地(飯田市伊賀良)

大量の土石流により一夜でできた扇状地(飯田市伊賀良)
この土石流では、5名が死亡し、45戸の民家が押し流された。

三六災害から50年。地域の防災力向上をめざした取り組み

三六災害50年

 この惨劇から半世紀という年月が経過した平成23年度には、伊那谷の行政機関などが連携し、「三六災害50年実行委員会(委員長:北澤秋司 信州大学名誉教授、事務局:国土交通省天竜川上流河川事務所)」を組織し、忘れかけた記憶を思い起こし、災害の実態を再認識すると共に、教訓として後世に継承し、地域とともに水害・土砂災害に備えた地域づくりを目指し、伊那谷の未来を考える取り組みが行われました。伊那谷の各地では、シンポジウム、パネル展示、防災訓練、座談会、現地研修会など60団体が100事業を実施し、延べ約14,000人が参加しました。これらの取り組みの総括として「伊那谷の地域防災力の向上は、自ら、地域から、そして行政との連携で」という声明が発表されました。

シンポジウム

シンポジウム(6月19日 飯田文化会館/約1200名を動員)

リレー式パネル展示(4月~9月まで伊那谷各地69カ所展示)

リレー式パネル展示(4月~9月まで伊那谷各地69カ所展示)

ロールプレイング方式机上訓練(7月4日 大鹿村)

ロールプレイング方式机上訓練(7月4日 大鹿村)

三六災害を語る座談会

三六災害を語る座談会