柿田川について

柿田川の生い立ち

柿田川は静岡県清水町のほぼ中心部を南北に流れる、延長1.2kmの狩野川の支川です。
この川は、富士山の南東の山麓にあり、富士山周辺で降った雨水や雪どけ水が地面にしみこみ、地下水となって湧き出して出来たものです。 (図1-1, 2参照)
富士山全体の地下水の量は、1日当たり約450万m3ともいわれています。その約2割にも相当する1日約100万m3(およそ25mプール2000杯分)の水が湧き出しているのが柿田川です。
柿田川は、湧水を水源としていることから、かつては泉川、地域は泉郷と呼ばれていました。

The Kakita River, in the centre of Shimizu-cho in Shizuoka Prefecture, flows in a southerly direction. A tributary of the Kano River, it is 1.2 km in length.
This river rises at the South East base of Mt. Fuji. It is fed by springs from the underground water table which is maintained by rain, and melting snow from Mt. Fuji.

図1-1 狩野川流域図・図1-2 柿田川空中写真
図1-1 狩野川流域図・図1-2 柿田川空中写真 JPG(308KB)

富士山の周辺には、同じように水の湧き出るところが何ヶ所かあります。その中で柿田川の水量が最も多く「東洋一の湧水」と呼ばれています。(図1-3参照) 柿田川の湧水は、国道1号に接した崖地の下を中心に数十箇所の湧き出し口(湧き間)があり、そこから狩野川に流れこんでいます。

From the cliffs near National Route 1, there are several dozen springs which supply the one million m3 of water that flow along the Kakita River and into the Kano River each day.

  1. 富士山周辺に降った雨や雪どけ水が地下にしみこみます。
  2. しみこんだ水は、水を通しやすいたくさんの穴のあいた地層(三島溶岩流)と水を通しにくい地層(古富士泥流)の間を流れていきます。
  3. やがて、三島溶岩流の南端である柿田川公園付近で一気に開放され湧き出しています。
図1-3 柿田川の湧水のしくみ
図1-3 柿田川の湧水のしくみ JPG(578KB)

柿田川の移り変わり

市街化の進む柿田川周辺

柿田川の流れる清水町は、沼津市と三島市の間に位置し、国道1号が通過していることや新幹線三島駅にも近いことから、住宅地として市街化が進んでいます。 人口は1960年代に大きく増加し、2000年には約3万人に達しています。(図2-1参照) 土地利用も、田畑が減少し宅地が増加しています。(図2-2参照) 都市計画では、柿田川は都市計画緑地に、周辺は市街化区域に指定されています。(図2-3参照)

Shimizu-cho, where the Kakita River flows, is conveniently located between Numazu City and Mishima City on National Route 1. There, urban and residential development is well-advanced.

図2-1 人口の推移
図2-1 人口の推移 Population
図2-2 土地利用の推移
図2-2 土地利用の推移 Land Utilization
図2-3 清水町都市計画図(柿田川周辺)
図2-3 清水町都市計画図(柿田川周辺)

年代別の空中写真を比べてみると、柿田川周辺は農地から宅地に変化して市街化が進んでいることがわかります。(図2-4参照)
柿田川の上流部は、現在の国道1号の開通(1964年)により地形が変化していますが、下流部は大きな地形の変化は見られません。川の中は豊かな自然が 残っていますが、両岸の河畔林は川沿いに細長く残っているだけで、すぐ近くまで市街化が進んできています。

The aerial photographs of the area around the Kakita River show the extent of the conversion of farmlands into residential areas.
In the river, Nature is surviving. However, much of the forest that once lined its banks has been destroyed by advancing urban development.The forest has been reduced to narrow strips paralleling the river.

1947年 9月撮影
1947年 9月撮影 JPG(49KB)
1981年 9月撮影
1981年 9月撮影 JPG(52KB)
2002年 2月撮影
2002年 2月撮影 JPG(61KB)

図2-4 柿田川周辺の年代別空中写真
この写真は、国土地理院長の承認を得て米軍撮影の空中写真を複製したものである(承認番号 平13部複、第338号)

地域との関わり

柿田川周辺には、出土した土器片より縄文時代や弥生時代から人が住んでいたと考えられます。(※1参照)柿田川は周辺の農耕地より低いため農業用水としての利用はありませんでしたが、柿田川に生える水草を肥料として利用していました。※2 また、戦国時代には北条氏が柿田川を堀として利用し、泉頭城を築城しました。※3 江戸時代初期には徳川家康の隠居所を造る計画もありましたが、家康の死亡により中止となりました※4。 柿田川の水を本格的に利用し始めたのは、水をくみ上げる技術が発達した1910年代からです。最初は製紙や紡績工場などの工業用水、※5 農業用水※6として利用され、 戦後には飲料水※7としても利用されるようになりました。 1960年代から湧水量の減少、開発計画等柿田川を取り巻く環境が変化し、住民の柿田川に対する関心が高まりました。※8(財)柿田川みどりのトラストなどによる柿田川の環境を守る運動が進められ、名水百選に選定されるなど全国的な知名度も高まりました。※9

In the river, Nature is surviving. However, much of the forest that once lined its banks has been destroyed by advancing urban development. The forest has been reduced to narrow strips paralleling the river. In the 1960's, local residents became increasingly concerned about the Kakita River. Their promotion of the movement to protect its environment, increased the national notability of the Kakita River.

地域との関わり
地域との関わり JPG(100KB)
地域との関わり
地域との関わり JPG(360KB)

柿田川パンフレット

柿田川パンフレット
柿田川パンフレット(全文) PDF(23.68MB)