木曽三川治水偉人伝
笠松郡代陣屋跡
 岐阜県笠松町は、木曽川沿いにあるという地の利を生かし、江戸時代から明治時代初期にかけて、美濃笠松郡代陣屋が置かれ、経済・政治の中心地となっていました。
 関ケ原の合戦以後、徳川家康は美濃代官を配し、美濃国内の幕領を管轄。二代美濃国奉行岡田将監善政は、西濃地方を襲った水害の復旧工事を指揮するため、笠松に仮陣屋を設けています。これが笠松陣屋の前身で、寛文2年(1662)には、可児郡にあった陣屋をこの地に移し、これを美濃笠松郡代陣屋と称しています。
 以後、200年間にわたって、この地に幕臣が派遣され郡代に就任。堤方役人と呼ばれる地元の治水技官とともに、治水事業などを実施。延宝元年(1673)には、尾張藩が笠松の円城寺川並奉行所を設置して、木曽川を通る舟や荷の取締りにあたりました。
 明治維新後は、旧幕領、旗本領に笠松県が置かれ、旧笠松陣屋をそのまま庁舎として使用。明治4年の廃藩置県により美濃一円が岐阜県となってもやはり事務はここで行われ、明治6年岐阜市へ県庁が移されるまで続きました。
 笠松陣屋は焼失しましたが、陣屋跡は笠松町の史跡として整備され、小公園となっています。

笠松郡代陣屋跡

参考文献「木曽三川の治水歴史を訪ねて」建設省木曽川下流工事事務所
 
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