木曽三川治水偉人伝
伊奈備前守忠次
初代の関東郡代
 伊奈忠次は、治水及び灌漑事業などに手腕を発揮した江戸時代初期の幕臣です。天文19年(1550)、三河国播豆郡小島に生まれました。幼名は熊蔵。はじめは父とともに、徳川家康の子信康に仕えますが、信康失脚後、堺で浪人生活へ。天正10(1583)には、家康に仕え、家康関東入部にともない初代の関東郡代となり、武蔵国1万石の知行地を所領しています。
 文禄元年(1592)、朝鮮の役には肥前国名護屋に出陣、慶長5年(1600)の関ケ原の合戦の際は、大久保長安、彦坂元成とともに小荷駄奉行を勤めるなど、数々の軍功をあげています。

関八州の開発に貢献
 この間、関八州の開発、特に利根川の治水や利水に従事するなど、水利、新田開発、殖産興業などの民政にも尽力し、徳川幕府財政の確立に多大な貢献をしています。中でも、関八州をはじめ全国各地の検地を指揮、「備前検地」としても知られています。
 また、全国に残された「備前堀」「備前堤」の名は、彼の治水・灌漑事業における活躍を物語っており、木曽川左岸の御囲堤は「伊奈備前堤」とも称されています。

幕府の基本となった伊奈流
 伊奈備前守忠次の土木事業の方式は「伊奈流」と呼ばれています。その方針は、毎年のように起こる程度の出水に対しては、堤防によりこれを防ぎ、大洪水はむしろ堤防を越水させ、遊水池により被害を少なく抑えることにありました。この方式は、その後の幕府の基本となりました。
 御囲堤完成の翌年慶長15年(1610)、伊奈備前守忠次は57歳で没し、勝願寺(現在の埼玉県鴻巣市)に葬られました。

参考文献:『木曽三川流域誌』・ 『木曽・長良背割堤ガイドブック』
 
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