宝暦治水(江戸時代中期)
宝暦3年(1753)12月25日、江戸幕府は薩摩藩にきわめて多くの費用と人力がかかる木曽三川の治水工事を命じました。
工事は宝暦4年2月27日に着工し、宝暦5年5月22日に完成しました。
工事は薩摩藩の家老・平田靱負(ひらたゆきえ)が総奉行となり、幕府の厳しい監督のもとに進められました。
しかし、最終的には多くの切腹者と病死者を出す難工事となり、平田靱負自身も工事完了後、すべての責任をとって自刃をしました。
宝歴治水の目的は、木曽三川の分流でしたが、当時の技術力では完全な分流ができませんでした。
しかし、この宝暦治水が連続した堤防を築く近代治水工事のはじまりとなったのです。
  平田靱負
平田 靱負
 

治水神社   千本松原
千本松原   治水神社

 

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