ふじあざみ 第53号(3)


地域の暮らしと日本の大動脈を守る/由比の地すべり対策事業 温暖な気候で果樹栽培に適した由比の傾斜地は、幾度となく地すべりを引き起こしてきました。
■由比の地形が育む果物
 静岡県庵原郡由比町は、面積の約70%が傾斜地です。この斜面では温暖な気候を生かし、古くからみかん栽培が盛んに行われており、晩秋から初冬にかけて山々はオレンジ色の模様が広がります。また町の南端に位置するサッタ峠付近では、ビワも栽培されています。ビワは温暖な海岸沿いの傾斜地が栽培に適しており、粒が大きく甘さがあると評判の由比のビワは6月中旬から7月上旬にかけて出荷されています。
■東西交通に安全と安心を
 サッタ峠付近は、昔から交通の難所として知られてきました。歌川広重が描いた東海道五十三次の一つである「由井」には、急峻な地形と駿河湾に挟まれたサッタ峠の様子が描かれています。ここは、現在では日本の大動脈(高速道路、国道1号、JR東海道本線等)が集中する場所です。昭和36年3月由比町で大規模な地すべりが発生しました。このため、国は各省庁からなる調査団を編成し、防災対策を検討し、土砂の処理など対策を実施しました。昭和49年の台風8号の集中豪雨では東海道本線は7日間、国道1号は23日間交通が途絶えました。
 平成16年の国土交通省富士砂防事務所の調査では、サッタ峠付近において、豪雨や東海地震等により地すべりが発生する恐れがあることが新たに判明したため、当事務所は平成17年度より地すべり対策事業に着手しました。
由比町を望む
由比町寺尾地区の地すべり
▲由比町寺尾地区の地すべり
(昭和36年3月の地すべり))
●参考文献:(社)中部建設協会 静岡支所発行「東海道薩 峠―東と西の出会う道」


富士山に寄せる想い/富士山への手紙・絵コンクール(手紙部門)最優秀賞・特別賞を紹介します
富士宮市、富士砂防事務所主催の第9回富士山への手紙・絵コンクールの表彰式を平成17年2月5日富士宮市民文化会館で開催しました。富士山への想いをつづった手紙部門の入賞作品を紹介します。
最優秀賞
小学生低学年の部
深沢 友香(ふかさわ ゆか)
富士宮市立東小学校
おきなわに行く時に、大きくドカンと立っている富士山が見えました。と中で夕やけになって、ゆうやけの色の富士山が見えました。よそゆきの着物を、着ているなと思って、じっと見ていました。
そこで、はいくを、考えました。
“ 富士山は 着物を着てて 美人だな ”
オレンジ色の着物を、身にまとっていて、本当にきれいでした。
帰りのひこうきからも、富士山が見えてきました。わたしたち家ぞくと、いっしょに帰ってきたみたいと、思いました。
そこで、はいくを、また思いつきました。
“ 富士山と 行きも帰りも にらめっこ ”
です。
富士山は、やっぱりいつも、ドカン。大好きです。

小学生高学年の部
鈴木 健太郎(すずき けんたろう)
富士宮市立富丘小学校
富士山、ぼくは、二つのあなたを知っています。
一つは、遠くから見て、青々として、美しいあなた。
もう一つは、登ってみたときの岩だらけのごつごつとしたあなた。
そのどちらも同じ富士山で、山も人も同じで、いろんな顔を持っているんだと感じました。
友達と仲良く遊ぶぼく。弟に、いじわるをしてしまうぼく。勉強をがんばるぼく。時々、わがままをいってしまうぼく。いろんなぼくがいて、健太郎なんだよね。
今年、あなたに登ってみて、あなたの厳しさもわかりました。
がんばって登りきった達成感は、忘れられません。
苦しくっても逃げないぼくをみつけました。
これからも苦しい時あなたをみて、がんばろうと思いました。

中学生の部
志村 恵(しむら めぐみ)
富士宮市立富士宮第二中学校
富士山の絵を描いた。画面には富士山と空。でも、それは富士山に見えない。どこか小さくて、弱々しい、死んでいるようだった。
美術館に行くと、そんな富士山はいなかった。
画面一杯の「生命」。キャンバスも、紙も生きていないはずなのに、沢山の「生命」を感じる。
様々な「動き」を感じる。
画面上の富士は、大きく、強く、生きていた。
私はその後、一人の画家に会った。その画家は言う。
「静」と「動」を画面に表すんだ。
その画家の「静」を富士、「動」を雲としたキャンバスは、生命にあふれていた。
そうか、私の富士山が死んでいたのは、「動」が無かったから。「静」だけでは生きず、きっと「動」だけでも生きれない。共存することで生まれる、生命の不思議。私はすぐに筆をとり、一羽の鳥を描き入れた。富士からも鳥からも、力一杯の鼓動が聞こえた。

高校生・成人の部
小林 まさお(こばやし まさお)
富山県上新川郡大山町
 健康自慢の父が脳出血のため倒れた。そのうえ老人性の痴呆症も併発した。遂に父は自身に関する一切を忘れた。また妻である母と一人子である私に関する一切も忘れた。自身が購入したマイホームのベッドで療養していることさえも分からぬ父が可哀想であった。
 数年後、母が父を風呂に入れて洗髪や髭剃りをすると「有難う」と頭を深深と下げた。
 またメロンや白桃、葡萄や梨などを食べると「有難う」と矢っ張り頭を深深と下げた。
 不意に父が「富士山に登りたい」と言い出した。父の真意が分からず母と私は首を傾げた。だが執拗な父の求めには根負けした。明くる朝早く父は二階に至る階段を上り始めた。父の背なと腰部を母と私がしっかり支えた。
 父は階段を上りきった。「お目出度う」と母と私は父を称えた。父は緊張の面持で母に向い合った。「何時もお世話になります。日本一の山頂で結婚を申し込みます」と頭を深深と下げた。忽ち母の目からは涙が溢れた。

特別賞
松本 優一郎(まつもと ゆういちろう)
富士宮市立大宮小学校
 ふじ山、お元気ですか?ぼくが見えますか?ぼくは、二年生さいごの日、まだ九九がぜんぶ言えませんでした。家に帰ってぼくは、心の中で、
(このままだと三年生になれないな。)
と思ってないていました。そしたらお母さんが
「ゆう一郎、
ふじ山を見てごらん。お父さんは三時間で登ってしまうけど、お母さんは七時間もかかったよ。ゆっくりでもいいよ。ゆう一郎は、今八のだんだから八ごう目だよ。がんばりな。」
と言いました。ぼくは、春休みも学校に行って九九のしけんをやりました。三月二十三日九九めんきょがとれました。九九めんきょしょうは、ぼくの大切なたからものです。こんどお父さんといっしょに
ふじ山に登ります。
表彰式の様子 最優秀賞、特別賞を受賞したみなさん