木曽三川治水偉人伝
旗本西高木家陣屋跡(岐阜県大垣市上石津町)
 関ケ原から南に分かれる伊勢街道は秀峰霊仙山と養老山地の山々を通って東海道桑名へつながる脇街道でした。関ケ原の合戦では敵陣を突破し敗走した島津勢がこの道を通ったことで知られています。
 この山間部を知行したのが関ケ原の合戦で武功を挙げた高木三家。後の宝暦治水で幕臣高木家と薩摩藩島津家が、がぷり四つに組むことになるのですから、これも歴史の皮肉といえるでしょう。
 南濃豪族であった高木家は、多良領主として山間要害の地を支配。江戸に常駐することなく、この地を直接統治しています。高木家は、西高木2300石、東高木、北高木は、それぞれ1000石に分かれ、多良の地を支配しています。
 高木家は木曽三川を中心とした西美濃諸河川の水行奉行を勤め、宝暦治水では笠松郡代とともに工事監督にあたりました。この職務は明治維新まで続いています。
 牧田川の上流にある多良盆地。この盆地の中心地、宮の集落に三家の館がありました。 三家の中心であった西高木家は、小高い段丘上にあり、眼下に支配地を見下ろしています 。石垣、外堀、表門などが遺構として現存し、歴史を知る人々が訪れています。この高木家屋敷は、岐阜県の史跡に指定されています。
 なお、高木家の古文書は、現在、名古屋大学付属図書館に収められています。


旗本西高木家陣屋跡

旗本西高木家陣屋跡


高木三家入郷地の碑

美の衆陣屋跡の碑

参考文献「木曽三川の治水歴史を訪ねて」建設省木曽川下流工事事務所
 
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