KISSOこぼれネタ VOL.69 関市特集号
高賀山信仰の歴史と現在

〔信仰の山 高賀山〕
岐阜県関市洞戸の北部に秀麗な容姿でそびえる高賀山は、古代より信仰の対象として、全国から修験者がつめかけた神の山でした。

信仰の中心となったのは、創建が養老元年(717)といわれる高賀神社で、神社に伝わる「高賀宮記録」によると、霊亀年間(715〜717)に平城京の空を夜な夜な怪しい光が丑寅の方角(北東)に飛び去るので、都から見て北東の高賀山を探索しましたが何もみつかりません。そこで山の麓に神壇を祀ったところ怪しい光は現れなくなったのが神社の始まりとのこと。
その後、この一帯に牛に似た妖魔が住み付き村人に危害を加えるので、藤原高光が勅命によりこれを退治し、さらに、キジの鳴き声をする大鳥を再び高光が退治した際、高賀山麓に6つの社を創ったと記されています。

また、「高賀宮記録」と少し異なる口伝が高賀の里には残っています。高光が退治した妖魔は、猿の頭に寅の胴を持ち尾が蛇の“さるとらへび”であったという話で、神社にこの伝説をモチーフにした像が建てられています。

「高光公とさるとらへび」像

〔信仰の変遷〕
高賀神社では、創建から平安時代初期には、古事記・日本書紀に登場する神々二十余柱が信仰の対象になっていました。

平安時代半ばから、白山信仰の影響で本地垂迹説による十一面観音信仰が盛んになり、10世紀中頃には、密教が混在して信仰し、大日堂が建立され大日如来像が安置されました。その後、虚空蔵菩薩信仰が盛んになり本格的な密教寺院として多くの修験者が訪れ、最盛期の鎌倉時代中期から南北朝期には四八ヵ寺の堂宇が建ち並んでいたといわれています。
室町時代以降、山岳密教は衰微して現世利益を願う信仰へと変化し、永正14年(1517)に大火にみまわれ多くの堂宇が焼失するなど荒廃したじきがあったようです。
江戸時代前期には六つの社(高賀神社、新宮神社、本宮神社、星宮神社、瀧神社、金峰神社)をめぐる六社めぐりが行われ、庶民の信仰を集めるようになりました。

明治になって新政府の神仏分離令により大日堂などが取り壊され、神社境内にあった仏像は観音堂に移されました。その後、これらの仏像は古代の神像とともに文化財収蔵庫に納められ一般公開されています。

〔大鳥居と高賀神水庵〕
現在の高賀神社は、厄除け・学問の神様として多くの人が参拝に訪れます。神社手前にそびえる大鳥居は高さが11mもあり、建てられた平成4年には石造りの鳥居としては日本一の高さが話題になりました。

また、国道418号を東に折れて高賀神社に向かう途中に、たくさんの人が行列をつくって水を汲んでいく高賀神水庵があります。氏子さん達が「ふくべの霊水」と命名して宮水として使いだしたところ、水を飲んだ人達から「飲みやすく美味しい」との評判がひろがり、遠方から訪れる人が増えました。その後、シドニーオリンピックでマラソンの高橋尚子選手が給水に使ったことで全国的に有名になりました。

高賀神水庵

■参考文献
関市観光サイト
高賀癒しの里サイト
 
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