KISSOこぼれネタ VOL.63 羽島市特集号
大須観音の起源と移転
現在、名古屋の一大繁華街として賑わう大須は、真福寺(大須観音)の門前町として発展してきた地区です。
この真福寺は、それまで羽島市桑原町大須にあったものを、徳川家康が名古屋に移転したものです。

真福寺の起源は、13世紀半ばに尾張国中島郡長岡庄大須に土地の人々が観音堂を建立したのことが始まりと言われています。
その後、次第に堂や僧坊が造営され、北野山真福寺と号する立派な真言の寺院となり、正平5年(1350)には後村上天皇の綸旨によって勅願寺となり、摂津の四天王寺から聖観音像を移して本尊とするに至ります。
その全盛期は室町時代前期で、知行一万石以上に及び、伊勢、美濃、尾張、三河、遠江、近江六国の真言寺院は全て当寺の末寺で、その数335ヶ寺、当寺自体の一山にも15の僧院があったと伝えられています。

やがて、争乱の時代が続くうちに寺は寺禄が減少し、僧院も少なくなっていきました。
一時、織田信長の庇護を受け再興されますが、それも争乱と度々の水害によって荒廃を極めることとなります。特に慶長10年(1605)の大洪水では、堂塔全て流失し、辛うじて貴重な宝物古文書が本尊とともに安全な場所に避難されました。
天下を掌握した徳川家康は、元和元年(1615)、僧天海を伴って当寺を訪れ、寺を名古屋城下に移転させるよう成瀬正成に命じます。
真福寺には「天下の三経蔵」と呼ばれる貴重な経蔵「大須文庫」があり、これを水損から守るためであったとされています。

一方、移転跡に村民が寺を建て真福寺と称してきましたが、幾度か水害に遭って場所が変わり、現在の真福寺は桑原町東方に昭和34年(1959)に建立されています。
真福寺の移転にあたって一つの伝承が残っています。
本尊の観音さまを名古屋に運ぶため、舟に乗せて長良川を下ることになりました。
ところが観音さまを乗せた舟は、途中の湊で夜を過ごすと明くる朝には大須の湊に戻っています。何度舟を出しても同じように大須の湊に戻ってしまうので困っていると、村人の夢枕に観音さまがあらわれて、「私は、永年過ごした大須から離れることが寂しくてならない。せめて今度行く先の名前も大須にしてはくれないか」と告げられます。
そのため、真福寺の移転先は、大須と呼ばれるようになったということです。


名古屋市中区大須の真福寺(大須観音)

羽島市桑原町大須の真福寺(大須観音)

■参考文献
羽島市史第2巻 昭和41年 羽島市発行
 
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