KISSOこぼれネタ VOL.61 山県市特集号 |
山県市の美濃紙生産 |
中世から近世にかけて山県市美山地区は、美濃和紙の主要な生産地でした。 武儀川および柿野川に沿った村々では、冬季から春まで紙を漉いていることが、幕府や領主への差出帳に記載されています。清浄な水が必要なため山間部の渓流に沿った村々で盛んに行なわれました。 特に武儀川は、比較的川の谷が浅く取水が容易であったことや、製品を長良川本支流の舟運によって上有知・岐阜さらに遠方に搬出する便のあったことが大きな要因となりました。 紙漉きにかかる税は、紙舟役とよばれ、紙の生産高にかかるのではなく、紙を漉く紙舟に対して課税されました。年貢のように村役ではなく、紙舟一艘につき何程という払い方でした。 また、紙漉きは、認可制であったため一度中止すると再び開始しようとしても許可をとることが容易でないため、中止した紙舟の紙舟役を村で分担して納めて、復活させて漉けるようにしていました。 紙の原料となる楮(こうぞ)は、当初は紙漉きを行なう村で自給自足していましたが、生産量が増加すると原料が不足するようになり、他の地域から購入するようになりました。 美山地区の村々は、根尾谷筋の村や、伊自良村から多く移入していたようです。 伊自良村は、慶長18年(1613)の美濃国郷帳には頭抜けて多い紙舟役を納めていますが、正保2年(1645)には極端に少なくなっており、この頃には紙漉きをやめ、楮の主要な供給元となっていたようです。 こうした傾向は伊自良村に限ったことではなく、製紙業の発達に伴って、紙漉きを専門に行なう地域と原料の供給地の地域的分業が進んでいきました。 |
![]() 正保2年紙舟役銀米納入村図 |
※赤字が、現在の山県市域の村 △印は新しく紙漉きをはじめた村(武儀川流域で古くから紙漉きがおこなわれていたことがうかがえる) |
■参考文献 美山町史 通史編 昭和50年 美山町 岐阜県史 通史編 近世 下 昭和47年 岐阜県 |
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