KISSOこぼれネタ VOL.53 柳津町特集号
境川にあった「渡し」

〔米穀などの船着場としてにぎわった三文渡し・佐波橋の変遷〕
現在の新境川橋の約100mほど下流にある宮下公園に降りる坂道を下がったところに、小さな流れを渡る橋があります。この辺りが江戸初期からあった渡しの跡です。
一回の渡し賃が3文だったことから、三文渡しと呼ばれていました。昭和10年の河川改修工事で今の川筋になるまでの境川はこれが本流でした。

この渡しは、公認の渡しでなく川向こうに行きたい者は、川に舟を浮かべている人に依頼して渡して貰っていました。
その後、惣四郎の舟を専用に借りて渡るようになり、次第に往来する人が多くなったので、佐波村では船を作り専属の船人を置くようなりました。最初の船人は新助といい、その後、甚四郎・半内・民四郎などが船人になったそうです。明治8年(1875)、この場所に長さ14.5m、幅約2.7mの板橋が架橋され佐波橋と命名、4月25日に渡橋式が行われました。その日は、佐波集落全部が休日となり、式のあと茶屋新田の神楽などの催し物がありました。この橋から東へ河床に設けられた道路を通って、通称じごく橋と呼ばれた橋を渡り、柳津村側へ上がったそうです。
しかし、この佐波橋は大水が出ると冠水して通行不能もしばしばで、そんな時は渡し舟が出されました。

その後、現在の新境川橋(昭和34年4月永久橋として新設)の位置に、土橋が架けられたのは昭和8年のことでした。


新境川橋下流付近
(三文渡しがあった場所)

新境川橋から下流を見る

■参考文献
柳津町史 佐波編 昭和47年 柳津町
広報やないづ〔昭和52年2月〕 歴史を訪ねて(7)
 
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