KISSOこぼれネタ VOL.44 開田村特集号
西野峠のおきよ地蔵

中世、木曽一帯で勢力を伸ばした木曽義仲にまつわる石造物も多く残されています。

西野峠の南西には城山とよばれる場所があります。ここは義仲が京都へ攻め上るとき陣をはったところともいわれ、戦国時代には武将たちのノロシ場であったともいわれています。

この城山には「おきよ地蔵」が残されています。伝承によれば「おきよ」は木曽義仲の側室です。そのむかし、木曽義仲が城山に陣取ったとき、水をほしがった義仲のため、おきよは水がでる西野川まで水汲みに降りようとしました。急峻な城山は水がでないため、危険は承知の上、ところどころ絶壁になっている山をくだったのです。ところが運悪く足を滑らせ、谷へ落ちて死んでしまいました。それからおきよがころげ落ちたところを「おきよくずれ」と呼ぶようになりました。おきよ地蔵は、後世の人々が供養のために建てたといわれていますが、真偽のほどは不明です。

■参考文献
  開田村誌 上巻 昭和55年発行
  開田村の石造文化財 開田村教育委員会 平成5年発行
 
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