KISSOこぼれネタ VOL.40 美濃加茂市特集号
伊深村と羽生村の水争い

美濃加茂市は、飛騨川と木曽川に接しているものの河岸段丘の上に開けた地域、古くから潅漑用水の確保に苦労した土地でした。市域の大半を占める木曽川右岸側の地域は、加茂川を中心とする木曽川流域と、川連川・蜂屋側などを中心とする長良川流域に区分されます。支川から供給される用水は不足がちで、河岸段丘下の涌水や溜池によって補うものの、雨にのみ頼る以外に方法のない所もありました。

木曽川や長良川の支川を潅漑用水の水源とする村々も、各河川の水の量が少ないため安定した耕作が出来ず、用水の確保を巡って絶えず水争いがあり、加茂野村と鷹巣村、市橋村と東田原村などの水争いが史実として遺されています。

伊深村(美濃加茂市伊深町)と羽生村(富加町羽生)は、共に長良川水系の川連川を用水源としていました。羽生用水は、伊深村の牛牧堰の下流に羽生堰を作り、川連川の水を引水していましたが、夜間は加治田村(富加町加治田)の田に配水し、昼間は、絹丸村(富加町絹丸)へ20%、羽生村へ80%配水する慣行が昔から続いていました。

干天が続いていた寛文8年(1668)、伊深村は、牛牧堰の下流に新たに新堰を作り、これにより牛牧堰の漏れ水を竜車でくみ上げて用水に引こうとしました。通常でも少ない水をさらに引水されては、羽生村としては死活にかかわることから、伊深村に講義しましたが受け付けて貰えず、代官を通じて伊深村の代官に掛け合って貰っても効果がないため、加治田村・絹丸村と共同して伊深村に抗議しようとしましたが、羽生村に近い絹丸村の同意は得られたものの、加治田村の同意が得られませんでした。これは、加治田村は伊深村の下流にあり、伊深村の新堰による用水が加治田村へも落込むからでした。

地元の調停を断念した羽生村は、はるばる江戸へ出向き、時の目付・清水源右衛門らに訴えました。その結果、羽生村の主張が全面的に認められ、伊深村の新堰は取壊されました。

用水と河川水に頼ることができない地域や新たに開墾する地域では、溜池を作って用水源としました。福田太朗八による太朗洞池の改築は有名ですが、溜池は、17世紀末から18世紀中期にかけて増大し、各集落で専用の溜池を持つようになりました。しかし、村内に適当な用地がない場合は、他村内の土地を借りて溜池を作り、また、二ヶ村以上で入会の溜池を作るなど用水源の確保に地域の人々の工夫が見られます。


水争い略図

■参考文献
「美濃加茂市史」 昭和55年1月15日 美濃加茂市 発行 
 
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