KISSOこぼれネタ VOL.38 板取村特集号
名古屋への断木の供給

板取村の木材供給は古くから行われ、文禄三年(1594)には、山年貢を上納して自由に伐採することが認められていたと伝えられています。しかし、寛文三年(1663)の調査では尽山になっていて、藩の用材になるものはないとされています。

江戸末期になると山稼ぎが盛んになりますが、これは杉の育成林が増加し、天然林が成長して木材資源が復活してきたことを示しています。
この頃「海の溝」、「川浦山」からは名古屋方面へ盛んに断木を出しました。断木は、地方によっては「段木」の字をあてることもあります。断木は雑木を丸太のまま長さニ尺から三尺に伐ったもので、川下の村々ではこれを割木にして薪にしました。

尾張藩の断木の規格は不明ですが、大垣藩の規格では、大段木は長さ二尺五寸、小口一尺以上。中段木は長さ三尺、小口三寸以上となっていました。

文久二年(1862)の記録では、尾張藩の命により、川浦山から断木千間が名古屋へ出されています。断木一間は、長さ六尺、高さ六尺、厚さニ尺五寸を言い、名古屋での価格は断木一間が一両余であったと言われています。

清左衛門家所蔵

■参考文献
 「板取村史」 昭和57年5月 板取村教育委員会 発行
 
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