KISSOこぼれネタ VOL.36 岐阜県春日村特集号
伊吹の行者−播隆上人−

伊吹山の急峻な山々に囲まれた春日村は、峡谷型の山村です。揖斐川の支流、粕川が山あいを縫って美しいせせらぎをみせています。江戸後期、この山村に播隆上人が訪れたといわれています。
播隆上人とは、北アルプスの名峰、槍ケ岳の開祖。天明6年(1786)、越中に生まれた播隆はその生涯を苦行僧として過ごし、文政11年(1828)、槍ケ岳の初登頂に成功。同年、穂高岳の登頂にも成功しています。この輝かしい実績は、「日本近代登山の父」と呼ばれている、英人ウェストンが日本アルプスを世に知らしめる65年も前のこと。まさしく、「大いなる初期のアルピニスト」といえましょう。
この播隆が伊吹山参籠のために春日村へ現れたのは文政8年(1825)のこと。南宮神社奥の院で参籠の後、伊吹山に登り八合目にある通称、岩屋で修業したと当時の文献は伝えています。春日村には、播隆上人にまつわる伝説が残されていますので、ここにご紹介しましょう。

むかしむかしのこと。
伊吹山の頂上にある八つ頭にどこからか一人の行者がやってきて大岩の下で修業を始めました。この行者はそこで毎日経を読み念仏を唱え鐘鼓を鳴らして修業を積んでいました。 この行者が伊吹の峰にこられてからというものは、偶然かもしれませんが、雨がまる2か月も降り続いていたそうです。雨に難儀した山麓の集落の人たちは、誰が言うともなく修業者が山に入られたからだと言うようになり、ついに百姓の代表が山に登ってよそへ移ってもらいたいと願い出ました。
行者がよそへ移る日も大雨でした。しかし、行者の衣は雨に濡れることもありません。その様子をみた村人は、「不思議なことがあるものだ。ひょっとしたら、この坊さまは仏さまが姿を変えておられるのかもしれない」
と、恐れと敬意をもってささやきあっていました。

ある夜のことです。
伊吹山麓の集落へ、この行者が現れました。飲み水をもらいにきたのです。しかし、行者の草庵からここまでは厳しい山道であり、かなりの道のりです。しかも、燈ももたず、一つ歯の下駄をはいて暗い夜道を歩いてきたようです。
この常識離れした様子にまた人々は驚き、尊敬の念に深めていきました。そして、近在の人々はもちろん、遠方からも生仏(いきぼとけ)様と敬い参詣するようになりました。 この行者を播隆上人といい、春日村には上人の地蔵尊があります播隆上人は月日を経て揖斐の山頂に草庵を結び、後に一心寺を創建されたようです。

伊吹山
■参考文献
 「春日村史」上・下巻春日村発行
 
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