KISSOこぼれネタ VOL.35 岐阜県南木曽町特集号
木曽材を保護するために実施された尾張藩の過酷な政策

南木曽町は、その名が示す通り、木曽谷南部の玄関口です。周囲には、木曽山脈、飛騨山脈に続く山々が連なり、中央部には南木曽岳がそびえています。
木曽谷は古くから、桧が生い茂る美林地帯です。ここで産出される良質な材木は、京都の寺社の造営にも利用されていました。
江戸時代、この木曽谷一帯を支配していたのは尾張藩です。良質な木材は尾張藩にとっても貴重な財源であったため、厳しい管理体制をしいていました。
南木曽町の妻籠下り坂にあった白木改番所もその一つ。尾張藩では材木はもとより白木(材木の半製品)に至るまでを統制し、刻印のある物以外は木曽から搬出させませんでした。

白木改番所はその後、蛇抜け(山津波)に遭い、寛延年間(1748〜51)に一石栃に移り、一石栃番所といわれました。
その一方、尾張藩は山を保護するために、木曽の住民に厳しい規則を課しました。特に、山火事には細心の注意を払い、一番のもとになる山焼きや切畑はもちろんのこと、山での喫煙にまで細かい指導を行なっています。ただでさえ、平地の少ない木曽で、山を焼きはらっての耕地拡大ができないことは、住民にとって大変な苦痛で尾張藩の政策は一方で山林保護にもつながりますが、山仕事を生業にする人々にとっては、生活を迫害する重圧にしか過ぎませんでした。

■参考文献
 参考文献「南木曽の歴史」南木曽町博物館発行
 
国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所
〒511-0002 三重県桑名市大字福島465  TEL:0594-24-5711(代表) FAX:0594-21-4061(代表)

copyright c 2013 国土交通省 中部地方整備局 木曽川下流河川事務所. all rights reserved.