KISSOこぼれネタ VOL.32 高根村特集号
高根村を支えたもう一つの産業、高根鉱山

 野麦峠で名を馳せ、高根ダムの開発で中部地方の電力需要に寄与した高根村には、かつて村の経済を支えたもう一つの産業がありました。江戸末期、盛んに開発された鉱山がそれです。
 中洞銅山や道河鉱山(ドウゴコウザン)、大倉山の内の小字わさび鉱山、猪之鼻鉱山など、数多くの鉱山が飛騨高山の商人の手によって相次いで開拓されました。高根村をはじめとする飛騨の鉱山は、これまでにわが国で開拓された鉱山では最高所であろうといわれており、採掘された銀や銅の輸送には陸路が利用されました。これらの物資は、峻険・深雪の山道伝いに牛馬の背、あるいは歩荷と称する人の背で運搬されており、その労苦をは想像を超えたもの。当時の郡代は「多分の運賃がかかり、損金少なからず」と訴えています。
 時代は下り、殖産興業を奨励する明治時代。日露戦争の勃発により鉱業はいわゆる戦時産業となり、飛騨の鉱山も飛躍的な成長を遂げました。なかでも麻田佐右衛門が経営する高根鉱山は、一時は鉱夫1000人、年産70万円にも達する盛況ぶりでした。鉱山事務所はもちろんのこと、医局、小学校、郵便局まで併設するほどの規模で、飛騨の7鉱山のなかでも第3位にランクしていました。
 しかし、日露戦争後の不景気が鉱山にも暗雲を落とすことに。明治40年3月、1000人の坑夫が賃上げを要求してストライキを起こしましたが、警官によって鎮圧。さらに明治43年の銅の暴落に加え、鉱内から突如湧水があり、当時の新聞に「給料未払いで数百人の坑夫が餓死する」と書かれるほど深刻な経営不振に陥りました。同年、経営者の麻田家は現存の鉱石の利益すべてと私財全部を放出して閉山処理にあたり、高根鉱山の歴史に幕を降ろしました。

■参考文献
「高根村史」高根村発行
 
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