治水事業(ちすいじぎょう)のあゆみ
御囲堤(おかこいづつみ)
江戸時代始めの慶長(けいちょう)13年(1608)、徳川家康(とくがわいえやす)の命令によって、犬山から弥富(やとみ)までの間に木曽川左岸に大きな堤防が築(きず)かれました。これを御囲堤(おかこいづつみ)といいます。
諸説(しょせつ)ありますが、尾張藩(おわりはん)では、御囲堤をとても重視(じゅうし)していました。「美濃(みの)(右岸)の堤防はこれより3尺(約1m)低くすること」というきまりがあったといわれることもあるよ。
輪 中
人々は木曽三川の洪水から身を守るため、村のまわりに堤防を作りました。その堤防がつながって「輪」(わ)のようになったので、これを輪中とよんでいますが、明治時代のはじめごろには、大小80もの輪中(わじゅう)があったそうです。
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