+++ ふじあざみ63号(1)  +++

 

 庵原郡由比町の倉沢は江戸時代「間の宿」と呼ばれ、多くの旅人が立ち寄りました。「間の宿」とは宿場と宿場の間にあり、旅人が休憩するための茶屋などが設けられていた所です。
 由比宿と興津宿の間にある倉沢は、サッタ峠を控えた間の宿として繁盛し、本陣・脇本陣の他5、6軒の茶屋がありました。西倉沢のはずれにあった藤屋の離れ屋敷から見た富士山と駿河湾の眺めは特に素晴らしかったことから、藤屋は「望嶽亭」と呼ばれ、多くの文人・※1墨客が訪れました。また、名物としてさざえとあわびが有名で、これを目当てに訪れる旅人も多かったようです。さざえとあわびについては、『東海道中膝栗毛』や『東海道名所図会』にもその様子が書かれています。
 現在も倉沢には、※2蔀戸なども見られ、古い街並みが残っています。街道沿いには旧家が多く、大戸、くぐり戸、格子造りの重厚な構え、石垣は百年以上たった今も変わりありません。倉沢はかつての東海道のたたずまいが残る、江戸時代の面影が偲ばれる場所です。

※1 墨客…書画を書く人のこと。  ※2 蔀戸…横張りの板戸を何列かにくみあわせ調節することで明かりとりや風雨を防ぐ戸のこと。

 



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