ふじあざみ59号(3)
「由比地すべり対策事業」起工式 「幸田文・文学碑」除幕式の報告
 国土交通省中部地方整備局は、平成18年1月14日(土)、由比町さった峠駐車場において、由比地すべり対策事業起工式を挙行しました。合わせて由比町は、直轄事業着手を記念して「幸田文・文学碑」の除幕式を行いました。
 当日は大雨であいにくの天気でしたが、静岡県知事、国会議員、地元関係者など総勢100名の方々が出席しました。

鍬入れ写真

 大村哲夫中部地方整備局長の式辞に始まり、清治真人国土交通省技監の挨拶、冨田陽子富士砂防事務所長の事業概要説明に続き、由比地すべり斜面状況を監視するための監視カメラの点灯式を行いました。式典会場内のモニターに現地画像を映し出しました。
 続いて、石川嘉延静岡県知事、望月義夫衆議院議員、斉藤斗志二衆議院議員、榛葉賀津也参議院議員、望月俊明由比町長より祝辞をいただきました。また来賓紹介、祝電披露に続き工事の安全を祈願する鍬入れを知事をはじめ17名が行いました。

除幕式の概要

 「幸田文・文学碑」の除幕式は、主催者である望月由比町長の挨拶で始まりました。続いて、文学碑の石を提供してくださった由比町の石切山氏の紹介と、建立の経緯が説明されました。
 また、幸田文先生の孫に当たられ、作家として活躍されている青木奈緒先生及び木村基金母体の砂防フロンティア整備推進機構森俊勇理事長よりそれぞれ挨拶をいただき、最後に文学碑の除幕が27名により盛大に執り行われました。

起工式・除幕式写真

「幸田文・文学碑」の概要

 幸田文先生は、明治の文豪幸田露伴の娘として明治37年東京に生まれ、昭和51年静岡市の大谷崩れとともにさった峠を訪れ、その手記を「主婦の友」で発表した「崩れ」に記してあります。
 石切山氏より寄贈された碑の石材は、柱状節理の玄武岩で通称「松野俵石」と言われるもので、この地域の大変貴重なものです。碑の台座には富士山大沢崩れから流出してきた石を使っています。国の直轄事業として由比地すべり対策事業の着手を記念し、由比町が(財)砂防フロンティア整備推進機構の木村基金の助成を受けてさった峠駐車場の一角に建立したものです。

薩た峠に寄せる思い
 静岡県といわれて、まず思い浮かべるのは海、山、そして温暖な気候だろうか。由比町はそのどれも豊かにめぐまれて、私の想う静岡である。山の斜面には枇杷や夏みかんが植えられて、ここの土地と水、陽ざしを得た実りは、お日さま色に甘酸っぱい。やさしくブルーにけむる空と、大きくひらける太平洋、そのふたつを区切る水平線はぼんやりかすんで定かではなく、吹き寄せる風に地球の丸さを感じる。
 由比には不思議と縁があって、これまでに何度かお伺いする折があった。勿論、そのきっかけは祖母・幸田文が書き残した「崩れ」に由比の記述があったことによる。地すべりという、日常の穏やかな暮らしからは思いもよらぬ災害の歴史がこの地を苦しめてきた。山が海へ迫っている地形ゆえ、人が住むに適した平地はわずかしかない。家々の背後につづく斜面、一見なんでもない山を目の前に、祖母は過去に起こったいたましい災害に思いを寄せ、「土よいつまでも平安であれ」と念じた。
 今年1月14日、地すべり対策事業の起工式にあわせ、「崩れ」の一節を引いた文学碑の除幕式が行われた。かつて祖母が訪れた「崩れ」の取材地にひとつひとつ建てて頂いている碑の中で、由比は七番目にあたる。
 その日は、週間天気予報が出されたときからずっと傘のマークがついたきり、予報は一向に好転する兆しがなかった。天からも、気象庁からも、ひたすらの雨を言い渡されて、会場となったさった峠には白いテントが用意された。聞けば、当日の朝六時から雨に濡れての設営だったという。
 激しい雨音を耳にしながらふと思い出すのは、かつてわざわざ大雨の日に静岡県を流れる安倍川を訪れた祖母のことである。穏やかな晴天ばかりがお天気ではない。雨の日に川はどう変わるか、その様子を確かめたくて、祖母はわざわざ案内を乞い、東京から新幹線に乗った。あまりの天候に、まさか本当にやって来るとは思わなかったと案内の人を驚かせたと聞いている。
 式典の間中、雨雲と共に祖母もまた暫時天から降りてきて、除幕を見守っているかのような意志のある降り方だった。お披露目となった由比の碑は、富士川の俵石と呼ばれる柱状節理を縦に据え、祖母が見ればさぞ喜ぶに違いない、すっきり整った姿をしている。もとより碑の建立など、身内にはとても力及ばぬことである。
 皆様のおかげと心より御礼申し上げ、今後、さった峠を訪れる人に碑が親しまれ、地すべり防止の事業がつつがなく進むようお祈りいたしております。
 

 碑には「崩れ」の中の「由比の家ある風景をみると、その安らぎがあってほっとしたのだが、佇んで眺めていれば、ひとりでに家のうしろの傾斜面をみてしまう。草木のあるなんでもない山なのだ。だが、そこを見ていると、なにかは知らず、土よいつまでも平安であれ、と念じていた」という一節が刻まれている。


幸田文の文学碑と青木先生 写真
幸田文の文学碑(右)と青木先生
■プロフィール
作家 青木 奈緒(あおき なお)
東京都小石川に生まれる。
学習院大学文学部ドイツ文学科卒業、同大学院修士課程修了。
オーストリア政府奨学金を得てウィーンに留学。その後1989年より翻訳、通訳などの仕事をしながらドイツに滞在。1998年秋、帰国してエッセイ「ハリネズミの道」、小説「くるみ街道」、エッセイ集「うさぎの聞き耳」を刊行。
「砂防と治水」((社)全国治水砂防協会)に2001年4月~2002年10月まで連載されたエッセイ「動くとき、動くもの」では、祖母の作家幸田文が「崩れ」の中で巡った日本全国の崩壊地を再び訪れている。

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