●生育環境が難しいワサビ栽培
 ワサビの成育には、水温、水質、水量、気候、土の性質、日射量などむずかしい条件が整わなければなりません。豊かな自然を有する静岡県は、こうした環境に恵まれて、全国ワサビ生産量の約半分を占めています。その中でも、安倍川上流と伊豆は有名で、安倍川の有東木では370年ほど前に、伊豆の天城山では170年ほど前に栽培が始まったといわれています。
 こうした中で、地元名産として愛されているのが、富士山周辺の清らかな湧水を利用して栽培されている、小山町や御殿場市、そして富士宮市猪之頭のワサビです。
 富士宮市の北部、猪之頭地区では「猪之頭湧水群」と呼ばれる豊富な湧水を利用して、大正時代中頃からワサビの栽培が始まりました。その後、昭和33年9月の狩野川台風により伊豆のワサビ田に大被害が出てしまい、富士山周辺のワサビが注目を集めるようになりました。
●朝霧高原開拓の歴史
 富士山麓の西部にある朝霧高原は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、自分と武士の力を示すため、全国から10万の騎馬武者を集めて、壮大な巻狩り※を行ったことで有名です。この高原は、富士山の噴火による火山灰地で、水が無く、長い間農地に適さない不毛の地とされてきました。
 長野県から開拓団が入り、雨水を飲み水としながら、原野を畑に変えていったのが今から56年前のこと、しかし思うように作物は育ちません。やがて、それぞれが家を持つようになりましたが、ほとんど自給自足の生活をつづけ、ようやく1949年には待望の水道が引かれました。
 こうした中、この地が酪農に適していることがわかり、農業から酪農への転換が進んだのです。現在、牧草地は1000ヘクタールに広がり、日量80トンもの牛乳を生産する日本有数の酪農地となり、開拓2世へと引き継がれています。
(※巻狩り:四方を取り巻いて獲物を追い込む狩り。)

●富士ミルクランドの誕生
 富士ミルクランドは、朝霧地域の酪農家たちの夢「自分たちで搾った牛乳を自分たちで売ろう、酪農の歴史・文化を伝える場所にしよう」と、1996年に国の改善事業として富士開拓農業協同組合の資本で建てられました。(現在、ミルクランド株式会社に経営権を譲渡)
 酪農を長期間体験できる宿泊施設、地域の野菜や畜産物をメニューに取り入れたレストラン、朝霧高原産の生乳をふんだんに使ったチーズやアイスクリームを製造する工房、そして特産品売場。
 また、酪農を2世に引き継いだ開拓1世たちが、酪農で培われた土壌で有機無農薬野菜を作り販売しています。
 そして、小動物や家畜などとふれあえる広場や牧草地もあり、都会から訪れる人が、酪農を楽しく体験できたり、都会の喧騒を離れてのんびりした時を過ごすことができます。

●「まちの駅」テーマは「まきば」
 「ひと・テーマ・まち」をつなぐ拠点として、全国に200箇所以上の「まちの駅」が、NPO法人地域交流センターにより認定されています。その中で、全国で有数の酪農地帯を持つ朝霧高原の富士ミルクランドは、「みどり・牧場・牛」を連想させる「まきば」をテーマとして、平成14年11月「まちの駅」に認定されました。呼称は「まきばの駅」です。
 農業には適さない富士山麓の過酷な土壌条件を逆手にとって培われてきた朝霧高原の酪農。まちの駅富士ミルクランドは、この酪農家たちの夢を背に、都会から訪れる方との交流の場として、朝霧高原の環境と歴史・文化を次世代へとつなげていきます。
                                (ミルクランド職員一同談)
富士ミルクランド http://www.fujimilkland.com