ふじあざみ 第43号(2)

 
富士山の湧水のメカニズムを探る その3  富士山の基礎知識  前回は湧水が湧き出す時や、溶岩層中の地下水の状況を調べてみました。では、富士山に降った雨や雪はどのくらいの時間をかけて湧き出すのでしょうか?
 
■湧玉池の湧水

 富士山の湧水は山体の色々なところで知られていますが、特に山麓の周囲には主な湧水があって、それらはいずれも約1万年前(11,000~8,000年前)の大規模な玄武岩溶岩流の末端に位置していることを見てきました(図1)。そして、富士山麓の湧水は、山頂の雪が融け始めるとすぐに増水しますし、中腹以上に大雨があるとすぐに増水することもわかってきました。これは富士山麓の湧水が地下を流れる川のような不圧(自由)地下水ではなく、上から地下にしみ込んだ水の圧力がすぐ末端に伝わるような被圧地下水のためと考えられますが、では、水の粒子そのものは地下にしみこんでからどれくらいかかって湧き出すのでしょうか?
 そのようなことを調べるのに水素の放射性同位体3Hトリチウムの濃度を使うことができます。水素には1H軽水素、2HまたはD重水素、3H三重水素あるいはトリチウムと呼ばれる3種類の同位体が知られますが、トリチウムだけは放射性同位体で大気中では互いに混ざり合ってほぼ同じ濃度組成ですが、一旦地下に浸透して地下水になると外界から隔絶され、トリチウムは半減期約12年の割合で崩壊しその濃度TUは次第に減少していくので、それを使って地下水の年齢を出そうとするものです。ただ、1950年代は通常の降水の3H濃度は10TUとされていましたが、その後、原水爆実験により1963-1964年には1000TUまで急に増加し、やがて次第に低下して1995年頃の降雨では5TU前後まで下がるようになってきました(図2)。
そこで、湧玉池、白糸ノ滝、小浜池、柿田川の湧水から得られたそれぞれのトリチウム濃度TU(湧玉池4.5±0.4〔1993年測定〕, 白糸ノ滝4.7±0.4〔1996〕,小浜池5.4±0.4〔1995〕,柿田川5.0±0.4〔1997〕)を、上記の降水のトリチウム濃度の経年変化のグラフに入れてトリチウムの放射崩壊をあらわした線と平行に当てはめてみると、変化が大きいのではっきりはしませんが、湧玉池の湧水はおよそ0~6および10~20年前、小浜池、白糸ノ滝、柿田川の湧水はいずれもおよそ13~23年前の年数の範囲に当てはまり、このようなことから平均すると15年前後の年数を経た水ではないかと私は考えています。湧水というのは実際にも、昨日の雨もはいりますし、近くの浅い地下水もはいり込みますので、年数を出すにはなかなか難しい点も含んでいます。
図1:富士山の約1万年前の大規模玄武岩溶岩流の分布とその末端にある山麓の主な湧水


図2:大気中における水素同位体トリチウムの経年変化と半減期(筑波大学, 1994から作成)


図3:平成1~13年間の神田川と興津川の年平均日流量の変化 白糸と清水の年降水量の変化もあわせて示す

写真:湧玉池
写真:湧玉池
■湧水と通常河川の流れ方のちがい

 では、このように何年もかかって湧き出る湧水にはどんな特徴があるのでしょうか。今度は別の面から調べてみましょう。
 湧玉池の湧水はそのまま流れて神田川となり、やがて潤井川に合流します。この神田川の流量は通常は1日約20万m3ですが、平成1~13年間の各年の平均日流量と白糸の年降水量を画いたのが図3(上)です。多雨の年は流量も多く、少雨の年は流量も減少するのは当然ですが、これを普通の河川の1つ、興津川と比較して見ました(図3(下))。興津川は田代峠付近の標高1,550mを源流とし駿河湾に流入する平均日流量約67万m3と神田川の3倍余の流量のある川で、旧清水市民24万人の水道用水ともなっているきれいな川です。河口近くの清水の降水量は白糸より若干少ない程度で同じように変化していますが、興津川の平均日流量の変化は30万m3から125万m3まで変化しています。興津川にはダムもありませんし、ごく普通の川といってよいでしょう。ところで、神田川の平均日流量は興津川のそれと比較して何と滑らかな変化なのでしょうか。つまり、多雨の年になっても少雨の年を迎えても若干ふえたりへったりするだけで、いつも同じような水の流れが見られるのです。これは何年間もの地下水圧が平均して加わるためで、神田川に見られる湧玉池湧水の流れがまさにそのような被圧地下水の特徴を表していると考えられます。 (土 隆一)


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