ふじあざみ 第42号(5)

 
富士山の麓、山中湖方面と御殿場、箱根方面を結ぶ国道138号は、現在では地域の人々の生活に重要な交通網のひとつであると同時に、観光にとってもなくてはならない道路です。その誕生には近代ホテル業の基礎を築いた人物が深くかかわっていました。


■洋風旅館の先駆者が道路網の整備を推進

 現在の国道138号が、山口仙之助らによって開かれたのは、明治22年(1889年)8月1日のことです。新道の開削に伴って八千代橋なども新たに架けられました。その後この新道は道幅が格段に広くなり、また平坦になって、人力車や馬車の通行にとても便利になったと言います。開通直後にここを訪れた漢学者の依田学海は、この新道について「(明治20年に開通した)塔之澤~宮ノ下間の新道よりもさらに広く、八千代橋から蛇骨川の渓谷を見下ろすと目もくらむようだ。この道路が開通したことで直接木賀温泉に行けるようになった。」と日記に記しています。これによって、木賀に向かう道としてこの車道が一般的に使われるようになりました。
 山口仙之助とは、どのような人物だったのでしょうか。富士屋ホテルの創始者である山口は、明治維新後米国に渡り、3年間をアメリカで過ごしました。その後慶応義塾に進学し、福沢諭吉より国際観光の必要性を説かれ、箱根宮ノ下の地に500年の歴史のあった「藤屋旅館」を買収、洋風に改築し、「富士屋ホテル」を開業したのです。
 当時の箱根はまだ道路が整備されておらず、交通の不便さは言語に絶するといわれていました。そこで、箱根の発展は道路の開通を計る以外にないと、山口は有志と相談の上、数々の道路を開通させました。現在の国道138号となる新道もその中のひとつです。また、山口は当時より自家発電を行ったり、電話をいち早く取り入れたり、自動車会社を設立したりと、時代の最先端を見つめ続けました。洋風旅館の礎を築いた山口の精神と先見性、行動力は、近代ホテル業の先駆者としても今も語り継がれています。



 美しい富士山を眼前に望む富士宮市内の小学校は、総合的な学習として富士山学習を展開し、子供達の生き方や精神の形成に活かそうと積極的に活動しています。今回は富士宮市立東小学校、近藤しげ子校長先生に富士山学習を通した、富士山に対する想いを語っていただきました。

(富士山学習発表会の一場面)

■昔も今も富士山と共に

 富士宮市に生まれ、自らも富士宮東小の卒業生である近藤先生。それだけに富士山への想いにも、強いものがあるようです。「私の小さい頃はこの辺りもこんなに建物がなく、校舎の窓からきれいなれんげ畑が見えました。そして、その向こうに美しく大きく、富士山が望めました。その風景は今でも忘れることができません。」と、やさしい笑顔で語る近藤先生。富士山とともに育った校長先生ですが、空気のような存在に感じていた富士山を、強く意識したことはあまりなかったと言います。そんな先生が、あらためて富士山を強く意識したエピソードがありました。「歌人“山部赤人”の富士山を詠んだ歌に、なんとも言えない衝撃を覚えました。昔の人々も、私たちと同じようにこの富士山を仰ぎ、同じ富士山がその瞳に映っていたんだと思うと、遥か昔の人たちと今同じ時間の中にいるような、不思議な感覚を覚えたんです。」と、目を輝かせて語る近藤先生。「今では富士山は私の中でかけがえのない存在です。このすばらしい富士山が身近にあることの幸せを、子供たちと共有したいと思っています。」と付け加えてくれました。

■富士山をシンボルとした“気付き”の学習
 「富士山学習は、単に富士山について学習するものではないのです。富士山を通じて、自然や歴史、伝統文化や産業などを学んで、富士山とともにあるこの地域に生きていることに喜びを感じたり、理屈ではなく、自発的に環境や地域社会に関心を持って、自然にとけ込める意識を育てます。」先生の生徒達への熱い思いが伝わってきます。「富士山学習は教科書がない学習であるだけに、子供の思いに沿って発展していく学習内容をどこまで広げたりまとめたりしたらよいのか、また、それをどう評価したらよいのか、など、他の教科にはない創意と工夫が指導者には求められます。」

■学習の成果を発表する様々なステージ
 「富士山を心に生きる子」をキーワードに、子供たちが富士山学習での取り組みを自分たちでまとめ発表する場が「富士山学習発表会」です。毎回多くの小中学校が趣向をこらした発表を行っています。「子供たちが、自信と誇りをもって発表しています。私たちも、その姿に大きな喜びを感じます。また、発表会を見に来ていた親御さんをはじめ、一般の方々も、発表の内容に感激し涙を流されていることもしばしばあります。子供たちが地域の人々に学びながらまとめた発表が、地域の人々の心を動かす・・・。これはとっても素晴らしいことだと思います。」
 富士宮東小では、「富士山への手紙・絵コンクール」にも、学校を挙げて積極的に取り組んでいます。「手紙・絵コンクールは、子供たちが富士山をどうとらえているか、どう思っているのかが顕著にわかりますし、感性を育てるのにとてもいいテーマです。作品を見ると、富士山を目標としてとらえたり、神様のようなお願いの対象として見たり、自分をはげましてくれる身近な家族のように思ったりと様々ですが、このコンクールに参加し、作品を創り出すことで、普段あまり富士山を意識していない子供たちにも、富士山の大きさや美しさを自分の内なるものと関わらせていけたら、と期待しています。このコンクールの作品は、独自に校内でも展示しています。」富士山学習発表会や手紙・絵コンクールは、単なる発表の場という位置付けだけでなく、統計を取ったり、文章にまとめたり、勉強の要素を持っていると先生は語ります。

■富士山とのかかわりを教育に
 「富士山は富士宮東小の校歌にも“芙蓉の峯”という表現で出てきます。表現は違っても、富士、富士宮にある学校のほとんどの校歌の中に富士山は登場しているのではないでしょうか。富士山は私たちの精神の中に、しっかりと根付いています。富士山の大きさや偉大さ、精神性は、人としての生き方にも通じるものがあります。校歌の詩の中に富士山が登場することも、学校に対する愛情が、ひいては地域愛、さらには地域の人々との愛情を育てるシンボルとなる富士山の懐の深さがそうさせるのではないかと思います。これからも、そんな富士山と上手にかかわり、教育に活かしていきたいと思っています。」と語る近藤先生。最後にこう締めくくってくれました。「富士山学習や学校での手紙・絵コンクールの作品展示によって、親御さんや出前講師など、教師以外の地域の方々が学校へ足を運んでくださる機会が増えました。地域の人たちに子供たちが学び、子供たちはそれを親御さんに話すことで子供に親が学ぶこともあります。そんな人と人とのかかわりこそが、富士山学習の成果であり、目指す目的のひとつだと思っています。」

■プロフィール

近藤 しげ子 (こんどう しげこ)氏
 1947年、富士宮市に生まれる。1969年、教職に就き、吉原小、黒田小、富丘小、大宮小、大富士小、井之頭小などで教鞭をとる。4年間の教育委員会勤務の後、2002年、富士宮東小の校長となる。教育委員会勤務時より富士山学習、富士山への手紙・絵コンクールにかかわり、富士宮東小でも積極的に取り組んでいる。