ふじあざみ 第30号(4)

タイトル 世界に誇るFUJI-YAMAを新世紀へ伝えるために

タイトル 6人の論客が熱い意見を語る!!

吉村 秀實氏の顔写真
NHK解説委員
富士常葉大学
教授
コーディネーター
吉村 秀實
美しい富士山を21世紀に

 NHKが今年21世紀に残したい日本の風景を募ったところ、富士山が断然トップでした。日本人が愛し、心のよりどころにしてきた美しい姿を、世界の人たち、そして、21世紀の子供たちに伝えるのは私たち世代の責任です。20世紀は科学技術を礎に、経済や社会環境は大きく変貌しましたが、今の快適な生活環境は、自然の犠牲の上に成り立っているケースも少なくありません。富士山もその例外ではなく、富士山と人との関わりも変化してまいりました。
 去年のシンポジウムでは、昭和44年以来実施した直轄砂防事業を振り返るとともに、さまざまな立場の人々から富士山に対する思いを語っていただきました。新世紀を10日後に控えた本日、富士山の環境を保全しつつ、山麓地域の安全で豊かな暮らしを目指す取り組みを紹介しながら、いずれも論客ぞろいのパネリストと会場の皆さま方も一緒に、「富士山の明日」について考えてまいります。

今井 通子氏の顔写真
医師・登山家
ぐるっと歩こう360度塾長
富士山大沢崩れ
研究会メンバー

12月はヘリで 大沢崩れを調査。
今井 通子
楽しみながら環境を学び行動する

 防災に関しては災害を被りそうな場所に住まないことを基本と考えますが、例えば、大沢の谷から上に見える不安定な大きな岩盤は、自然を伸び伸びさせてよいとは思えず、町田先生、渡邉宮司と白籏さんの中間で、虫歯の詰め物のようにでもいいから、少しの手は入れるべき。しかし技術で自然を封じ込めることは、人間にはそんな技術も力もなくできないと考えます。
 地球温暖化については70年代のヒマラヤ登山の際、気象がおかしいと感じていましたが、科学的証明される頃はすでに手遅れにならなければ良いが。大沢崩れで90年代から11月に土石流が頻発し始めたのも、温暖化との関連が懸念される。
 現在はマラソンとコンサートや森林グッズの製作などと自然学習を一緒にした森林走遊学大会を実施しています。楽しみながら環境を学び、地元の方々と行動する人々の交流の輪が広がり、山に対して環境保全に関わる活動をやりたいという若い人は増えている。将来富士山でも森林走遊学や生態系維持林作りの植林などを実施したい。環境教育の場としての富士山の利用はきっと保全にも役に立ち、「御中道360度めぐり」は是非続けて、日本の文化として世界の人たちに紹介したいと思っています。

宮崎 緑氏の顔写真
千葉商科大学助教授
11月には、富士砂防管内を 視察して頂きました。
宮崎 緑
自然と人間の営みを考える「文化」

 大沢崩れは崩れるに任すか止めるべきか、または生態系と人間の営みによる変化、それをどういうスタンスで考えるかがまさに文化だと思います。
 都会に住んでいると富士山をやや離れたところから眺めているので、至近距離で見る住民の感じ方と、富士山の保全についても温度差があるというのは否めない状況だと思います。それをいかに縮めるかがとても大事で、高度情報通 信社会で情報はあふれるほどあり、関係者も情報を一生懸命発信していると思うのですが、受けての側に意識がなければ価値のある情報でも雑音にしかならない。どう実感を持たせるかが大きな課題で、扇状地に参りましたらリサイクルポットの苗木に、子どもたちの思い思いのメッセージ、未来への夢の寄せ書きがありましたが、こういうちょっとした工夫が、身近な問題として考えるきっかけになると思います。
 人間が自然に対峙するというのはあまりにも倣慢です。ほんのちっぽけな自然の一部にしかすぎない人間が、自然の大きな生態系の懐に抱かれて、どのように生き、文化を紡いでいくのか、そういう発想が大事ではないかと思います。

渡邉 新氏の顔写真
富士山本宮浅間大社
宮 司

37年奉職され 富士山に住まうこと 1900日。
渡邉 新
山の気を読む感性を失った現代人

 古代の日本人は、常に森に抱かれて森の精霊とともに暮らしていました。しかし、山岳仏教が入り古神道と合体して、富士山が生活の山から信仰の山に変わっていきました。
 富士山が活動していた縄文時代、山の民だった古代人は災害があれば移動し、神の怒りに触れないところを住みかとしていました。山の気を読むといいますが、自然と共生する感性のようなものが備わっていました。しかし、やがて山の活動が弱まってくる弥生時代以降、農耕社会に入り定住して、所有の欲にかられて災害の発生しやすい領域にも入り込んでいき、山の自然の怒りに触れる。このころから人間は知恵と技術で何でもできると思うようになってくるわけです。
 自然と共生するということは、やはり慎みの心を持って住むということ、これが現在は薄らいできています。山が平らになるのは自然の道理でありまして、道理に逆らうとけがをするのも道理だということを、現代人は知らなければならないと思います。
 富士山の神様は女神様で「外面女菩薩、内心女夜叉」、外から見るときれいな富士山も中には、恐ろしいものが潜んでいると考えなければならない。




前ページホーム 次ページ