富士山は、約10万年前に噴火を始め、成長の過程で崩壊と成長を繰り返してきました。1万年前からやや活動形態が変わって、富士市、三島市まで大量
の溶岩を1万年から9千年くらい前に流し、その後、主に山頂の噴火と、山腹噴火を繰り返してきました。
歴史時代以後は古文書の記録と、地質と絡め、噴火の様子が良く分かっています。富士山の噴火が盛んだった平安時代には、青木ヶ原溶岩など北麓に大規模な地形の変化が起きましたが、富士山はわりと穏やかな噴火が多いのです。ただ1707年の「宝永の噴火」は、溶岩を流さず大量
の火山灰だけを噴出し、特に変わった爆発的な噴火でした。
次の噴火については、場所が特定できず、また宝永の噴火が全く異質の噴火であったため、形態を予測することが難しいのですが、ただ事例が多く「癖」が押さえられています。将来の災害を予測するハザードマップはまだ富士山ではできていないが、近い将来はまとめられると考えます。
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