ふじあざみ 第30号(3)

タイトル パネル展示で富士山の発見。
土石流のパネル展示の写真
パネル展示で富士山の発見の写真。
1000人を超える参加者で埋まった状況写真。
▲1000人を超える参加者で埋まった。
タイトル 富士山教室「御中道ぐるっと歩こう360度」

富士山教室「御中道ぐるっと歩こう360度」歩行位置略図

タイトル 高山植物教室
静岡大学教授  増沢 武弘氏
 私は富士山の荒廃地及び防災工事などの土木的工事により、一時的に自然がこわれた場所をもとに戻すときに、そこに元来生育していた植物を用いて復元を試みるという研究をしています。
 フジアザミは富士山の砂礫地に自生する植物で、4~5年間で直径1mほどの大きな葉を地表面 にひろげ、まっすぐな根を2m近く地中に伸ばします。成長が早く、根が杭のような働きをするため、砂防工事に最も有効で将来性があるものと考えました。
 植物を用いて復元を試みるとき、苗と種の確保が必要不可欠ですが、現在、富士砂防工事では大沢川の岩樋下流部と大滝に圃場を作り、富士山源頭部調査工事現場に植裁しています。
フジアザミの直根の写真
▲フジアザミの直根

タイトル 雪崩教室

安間 荘氏の顔写真
雪氷学会理事
安間 荘氏

 太平洋側にある富士山では雪の降るのが遅く、山腹が裸の状態で凍りつきます。地表が水を通 さないため、上に積もった雪は雨や雪解け水などを含んで重くなり、一気に流れ出します。しばしば、ほぼ同じ高さのところから一斉に発生しまが、これがスラッシュ雪崩と呼ばれる、富士山特有の雪崩です。実際に被害を山麓に及ぼすような大規模なものは大体200年、あるいは100年に1回の間隔で起きています。江戸末期には現在の市街地にあたる地域まで大被害を受け、田子の浦港近くまで達しているものもあります。
1981年の東富士雪崩の写真
▲1981年の東富士雪崩

タイトル 火山教室
小山 真人氏の顔写真
静岡大学助教授
小山 真人氏
 富士山は、約10万年前に噴火を始め、成長の過程で崩壊と成長を繰り返してきました。1万年前からやや活動形態が変わって、富士市、三島市まで大量 の溶岩を1万年から9千年くらい前に流し、その後、主に山頂の噴火と、山腹噴火を繰り返してきました。 歴史時代以後は古文書の記録と、地質と絡め、噴火の様子が良く分かっています。富士山の噴火が盛んだった平安時代には、青木ヶ原溶岩など北麓に大規模な地形の変化が起きましたが、富士山はわりと穏やかな噴火が多いのです。ただ1707年の「宝永の噴火」は、溶岩を流さず大量 の火山灰だけを噴出し、特に変わった爆発的な噴火でした。
 次の噴火については、場所が特定できず、また宝永の噴火が全く異質の噴火であったため、形態を予測することが難しいのですが、ただ事例が多く「癖」が押さえられています。将来の災害を予測するハザードマップはまだ富士山ではできていないが、近い将来はまとめられると考えます。
宝永の噴火口の写真
▲宝永の噴火口




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