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豊川放水路完成まで
| 明治14〜15年 |
河川工事を行い、霞の一部を連続させる |
| 明治26年8月18日 |
豊川洪水、石田水位8.37m |
| 明治31年9月7日 |
豊川洪水、石田水位8.82m |
| 明治37年7月10日 |
豊川大洪水、石田水位9.06m |
| 大正3年 |
豊川改修運動始まる |
| 大正13年5月 |
豊川改修促進期成同盟会を結成、工事の早期着手を陳情 |
| 昭和2年 |
内務省土木局において豊川改修計画作成、放水路案920万円 |
| 昭和10年8月28日〜29日 |
豊川洪水、石田水位5.65m |
| 昭和11年 |
豊川放水路計画が再検討され850万円となる |
| 昭和12年7月13日 |
豊川洪水、浸水面積2,600ha、国道浸水深1.8m、石田水位6.5m |
| 昭和13年4月18日 |
富永技師県庁で放水路計画案提示する |
| 昭和13年4月21日 |
前芝村、放水路計画に異議を陳情 |
| 昭和15年8月1日 |
豊川放水路の用地買収に着手 |
| 昭和25年7月19日 |
豊川改修期成同盟会(豊橋市)発足 |
| 昭和26年9月4日 |
放水路内水問題について地元と協議 |
| 昭和38年7月17日 |
豊川放水路分流堰起工式 |
| 昭和39年5月17日 |
豊川放水路分流堰定礎式 |
| 昭和40年3月〜 |
豊川右岸 大村・当古・三上・二葉の霞を締切 |
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