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■ イベント名  三峰川フォーラム2011 「くりかえすまい36災害」  
■ 場   所  伊那市高遠 高遠城址内「高遠閣」2階大広間
■ 日   時  2011年11月19日(土) 13:00〜16:00
■ 主   催  三峰川みらい会議
■ 講   師  矢沢章一(高遠在住)、北原 弘(伊那市美篶在住)、
 埋橋 進(伊那市危機管理課)、中島一郎(天竜川上流河川事務所)
  (敬称略)




  高遠閣にて開講 三峰川流域で発生した災害と、災害への備えや対策を学ぶ「三峰川フォーラム2011 くりかえすまい36災害」が三峰川みらい会議によって開催されました。 会場の高遠城址公園内にある高遠閣には、約40名の聴講者が集まりました。会場ではパネル展もおこなわれ、三六災害の被害を伝えるパネルや東日本大震災のパネルなどが展示されました。

高遠閣にて開講

矢沢章一さん  高遠在住の矢沢さんは、三六災害で寸断された通信網を復旧させるため、旧長谷村の杉島や入野谷で作業にあたられた経験をお持ちで、 ご自身で撮影された8ミリビデオの映像やカメラ写真により、三六災害の様子や、美和ダムや高遠ダムのできる前の三峰川の様子と現在を比較し、体験を交えながら説明いただきました。

矢沢章一さん

三六災害時の美和ダム放流の様子  

三六災害時の美和ダム放流の様子

 三六災害当時、上川手地区の消防団分団長をつとめておられた北原さんからは、美篶地先の三峰川堤防が決壊した際の記憶をたどりながら、 北原 弘さん 生々しい水防の経験談をお話しいただきました。決壊当時は堤防一杯に濁流が見え、堤防を守るために石を詰めた俵を使った水防活動を必死でおこなったとのことでした。また決壊の直前、 堤防の背後から水が噴き出し、それからまもなく堤防がつぶれるように崩れ落ち、濁流がどっと水田側に流れ込んだそうです。 災害はいつ発生するか分からないため、いつも川を見ていることが大事と語っておられました。

北原 弘さん

 伊那市からは三峰川流域での水防計画、防災に関する事業の説明があり、つづいて当事務所から、三六災害の特徴、 砂防施設の役割、砂防事業の進捗状況、今後の防災への取り組みについて説明しました。

 今回のフォーラムでは、貴重な映像・画像や体験談から、三峰川での三六災害の被害状況や当時の住民の水防活動の様子を知ることができ、 災害の恐ろしさや備えの大切さを改めて認識する機会となりました。