小田井人足、十五の森、人柱伝承

小田井人足

江戸時代のこと、庄内川が増水して危険になると、尾張藩は名古屋城下を水害から守るため、役人をつかわして川向こうの小田井(おたい)村の堤を切らせることを命じました。小田井村の人々は、堤を切れば自分たちの家や田畑が大被害を受けるので、表面上は一生懸命働くふりをし、実際には少しも能率を上げずにわざと時間をのばし、ひたすら水がひくのを待ちました。このような史実から、怠け者を表す「小田井人足」の語が起こったといわれています。
現在、小田井の地には遊水地が整備され、庄内川下流域の洪水被害の軽減に寄与しています。

十五の森、人柱伝承

十五の森、人柱伝承の写真

室町時代のこと、現在の春日井市松河戸地区では、雨期になると庄内川が氾濫して田畑がよく水浸しになっていました。村人達がどうしたらこの水害を避けられるのかと途方に暮れていると、そこへ陰陽師が現れ「水神様の怒りを静めるためには、15才になる生娘を人柱として埋めればよい」と告げました。そこで15才の娘をもつ親たちがくじ引きをした結果、庄屋矢野家の娘が人柱に決定しました。悲嘆のうちに棺に入れられた娘は、堤のよく切れる場所に埋められてしまいました。娘はそれから1週間近くも棺の中で生きていて、一緒に入れた鐘を叩く音が地中から聞こえたということです。

それからこの地には水害もなくなり、みな美田となって今日に至ったと伝えられています。