新川の開削と洗堰

新川の開削と洗堰

新川洗堰の図

新川洗堰(しんかわあらいぜき)の築造と新川の開削は、時の尾張藩主徳川宗睦の命により、天明4年(1784年)に着工。庄内川の北堤を長さ40間(約 73メートル)にわたって半分の高さに切り下げて、大水の時には庄内川の水をこの堰から分流し、新たに開削した新川を通じて伊勢湾に流れるようにしました。天明7年に完成したこれら一連の治水工事は「天明の改修」とよばれています。
洗堰とこれに続く新川は庄内川の右岸(北)側に作られましたが、当時の庄内川の堤防は、もともと左岸側に比べて右岸側の堤防が低く作られており、これらはすべて名古屋城下を水害から守るために考えられたやり方でした。
新川洗堰は明治16年の修理を経て、現在でも機能しています。

平常時
平常時

洪水時
洪水時