メッセージ

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ここからはじめる。私がはじめる。

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PROFILE 小松 浩二
1979年沼津市生まれ。山、川、海でアクティビテイを楽しむ趣味人。こだわりの八百屋「REFS」の代表。店内には静岡東部の野菜や乳製品、加工品などが所狭しと並ぶ。生産者の顔が見える安心で安全な「食」を広めている。店舗のある上土商店街の理事やローカルなニュースを届けるネットマガジン「沼津ジャーナル」を主宰するなど、活動は多岐にわたる。
小松浩二 02
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ここがスタートライン

ここがスタートライン ミズベリングの動きは何となく噂には聞いていました。ただ、まさか自分が直接関わるようになるとは…。『ミズベリングかのがわ』の第一回会議に関わらせていただいて思ったことは「ここがスタートライン」ということです。会議には老若男女、色々な人が集まってくださった。自由に意見を出し、夢を語ったけど、語るだけで終わっては意味がないと思いました。そこで会議の開催を契機に「狩野川ミーティング」を定期的に開催するようになりました。かのがわ風のテラスのもっと有効的な活用法や、流域の連携を考えたり、水辺で暮らすライフスタイルの発信など色々な意見を交わしています。なかでも風のテラスの上段にある植栽の芝生化は、みんなの意見を実際に行動に移した一例です。行政などとも相談し、川の眺望を妨げていた植栽の一区画をみんなの力を借りて芝生化しました。天気が良い日に芝生でくつろぎ、狩野川を眺めている人を見かけると、嬉しくなりますね。ミズベリングの活動ってこんな所から少しづつ変わっていくことが大事なんだと思います。

きれいな川とにぎわった町並み

きれいな川とにぎわった町並み 沼津の山側に育ったので、子どもの頃は地元の川で良く遊んでいましたが、狩野川と直接触れ合ったことは少ないです。ただ今も心に残っていることといえば、市内の図書館に通っていて、その道すがら狩野川を渡っていた時に「きれいな川だな」と思った。そして川のそばには賑わう町並み。それが僕の狩野川の原風景です。今では狩野川のそばに店を開き、狩野川の水辺でイベントを仕掛けたり、狩野川は生活の一部になっている。しかも上流から下流、さらには港まで様々な人と関わり、色々な取り組みに参加させてもらっています。

「特別」じゃない水辺

僕は学生時代にユーラシア大陸を横断したり、店を始める前にカナダでアウトドアを学んだりしました。その経験の中で食の大切や自然の雄大さを知りました。特にカナダでは人と自然が上手く共生していることを学びました。そしてそれが特別なことではないことも。ミズベリングの会議で上がった様々な意見もそれが「特別」ではいけない。水辺に触れ合うこと、例えば天気の良い日に狩野川のほとりで川を眺めながら、お弁当を食べる。それは特別なことじゃく、日常でなければと思います。一方で、『ミズベリングかのがわ』の動きをどのように広がりをもたせるかも大事。第一回の会議後、様々な立場の人たち同士のコミュニケーション不足が解消されつつあるように思えます。このまま活動を続けて行くことで、より広範囲なコミュニティが形成され、活動に広がりが見えてくるようになると、『ミズベリングかのがわ』の動きは更に加速すると思います。

住む人にも訪れる人にも魅力ある狩野川へ。

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PROFILE 長谷川 英一
1964年天城町(現伊豆市)生まれ。流域間の交流やリバーアクティビティの創造を目的としたNPO法人狩野川倶楽部会長を務める。本職は天城産の材木を扱う製材所の二代目。生まれも育ちも狩野川のそば。「生まれた病院も家のそばだったから間違いなく産湯は狩野川の水だね」と話すほど。本業の現場などを回る一方、抜群のバランス感覚で、地域のあらゆる活動に参加し、常にフル回転。
長谷川英一 02
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ミズベリングで最大公約数のコミットメント

ミズベリングで最大公約数のコミットメント 狩野川って源流から河口までが短くて、ダムや堰がない。狩野川のそばで生まれ育ったので当たり前だったけど、実は日本の一級河川の中で狩野川のような川がほとんどない。他の川の事を知る中で、狩野川って珍しくて、恵まれた川だということを知りました。上流から河口まで距離が短いから流域の人もお互い顔なじみが多い。そんな狩野川を恩恵を受けながら生活をしている人たちの話し合いの場が狩野川倶楽部(※)の成りたちでもあります。狩野川倶楽部では狩野川がもたらすめぐみを通して豊かな生活地づくりの実現と交流を提唱しています。そんな僕たちの活動と『ミズベリングかのがわ』の活動は目指す所が一緒なんじゃないかと考えています。狩野川にコミットメントしている人をたくさん集めて、話し合い、落とし所を見つけることが狩野川の水辺をより楽しく有益に利用できることにつながるんじゃないかと思います。

今も昔も遊び場は狩野川。生粋の川ガキ

今も昔も遊び場は狩野川。生粋の川ガキ 今も昔も狩野川は遊び場でした。家業である製材工場は狩野川沿いにあります。目の前に中州があって、中州の左岸側は僕のナワバリだった。毎日のように川に行っていたから、岩の位置も手に取るようにわかるし、生態系もほとんど変わらない。「子どもの頃の原風景が今も変わらずにそこにあるという幸せ」を、今の子ども達にも感じさせてあげたい。そのためには狩野川を知る事、水に触れる事が大事だと思う。『ミズベリングかのがわ』の会議には中学生にも参加してもらったけど、子ども達の考える水辺の利用法は奇抜で面白かった。僕らもやってみたいアイデアがいくつも上がったことが嬉しかった。

狩野川と関わる活動をビジネスに

最近思うことは狩野川で一緒に楽しいことをやるという雰囲気というか、流れが出来ているということ。特にミズベリングの活動は行政と流域の住民、僕らのような団体が一緒になって何かに取り組むことがやり易くなった。すごく良い流れが出来つつあると思っています。だからこそ今後は狩野川の本流だけでなく、支川にもスポットをあてたい。色々と楽しい水辺空間が広がっているので。そしてもう一つ大事なこととして、リバーアクティビティなど狩野川と関わる活動を仕事として成立させたい。狩野川と関わる仕事でご飯が食べられるようになれば、若い人だって地元に残っていける。ビジネスにつなげるのは大きな課題。例えば、ふらっと狩野川に遊びに来て、いつでもカヌーが出来るって状況を作りたい。そのためにも『ミズベリングかのがわ』の活動がもっと広まって、人が集まり意見を出し合い水辺を遊びつくす流れが出来上がればと思っています。もちろん、いろんな意見があって良いし、語り合う場があるってことが良いと思います。