木曽川上流河川事務所

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子供達にもわかる河川事業

恐(おそ)ろしい災害(さいがい)

江戸時代(えどじだい)の水害(すいがい)

濃尾平野(のうびへいや)は、土地が低いうえ、昔は木曽三川が下流部で複雑(ふくざつ)に分かれたり合わさったりして流れていたため、大雨が降るとたびたび氾濫(はんらん)し大きな被害にみまわれてきました。

恐ろしい災害
先生

  四刻八刻十二刻(しときはっときじゅうにとき)
この言葉は、雨が降り始めてから洪水になるまでの時間を表しています。揖斐川で四刻(8時間)、長良川で八刻(16時間)、木曽川では十二刻(24時間)かかるという意味の古い言い伝えのことです。(一刻=約2時間)。
 

江戸時代の水害

明治時代(めいじじだい)の水害(すいがい)
明治26年8月、29年7月、9月におきた水害を、明治三大水害と呼んでいます。特に29年9月におきた水害の被害は大きく、岐阜県内だけでも死者58名、流失(りゅうしつ)・崩壊家屋(ほうかいかおく)は9,115戸にもなりました。
女の子
 
水害は突然起きるから怖いわね。
たくさんの人が亡くなったり、家をなくしたりしたのね。

 

明治26年8月、慈恩寺(じおんじ)境内に避難していた人達が、土砂にのみ込まれた。(岐阜県八幡町慈恩寺)
明治26年8月、慈恩寺(じおんじ)境内に避難していた人達が、土砂にのみ込まれた。(岐阜県八幡町慈恩寺)

明治29年9月、大垣城天守閣の浸水
明治29年9月、大垣城天守閣の浸水

被害状況と大垣城址の洪水位標

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