ふじあざみ 第39号(3)

朝霧高原の酪農
戦後の食糧難対策として始められた朝霧高原の開拓。しかし、低温と霧による日照不足は、農業生産にはむかず、入植者は苦しい生活を強いられました。転機は酪農によってもたらされました。涼しい夏、広い牧草地、どちらも牧畜には好都合だったのです。
 富士山西麓は静岡県でも名高い草地酪農地帯です。放し飼いにされた乳牛たちが富士山を背景に悠然と草を食むのどかな姿は、朝霧高原のシンボルともなって、観光客の目を楽しませています。こうした風景の背景には、この地の開拓者たちの苦労と、土地の自然条件を生かすべく積み重ねられた多くの努力があります。
■食糧難対策として始められた開拓
 朝霧高原の開拓は、昭和21年(1946)、当時の食糧難を克服すべく、国営事業として始まりました。最初に入植したのは復員軍人・引揚者などで、その後長野県下伊那郡大下条村(現阿南町)の助役を団長とする独身青年を中心とした長野県開拓団等が入植しました。
 当初は緊急食糧増産の国策に基づき、陸稲・麦・馬鈴薯・甘藷・雑穀類の生産が主体でした。しかし、標高600m~1,000mのこの地は、1月の平均気温は零下となり、東北地方にも匹敵する寒冷地です。しかも夏場は朝夕に霧が発生することが多く、冷夏と日照不足は農業にとっては不利な条件でした。その上、火山灰土壌の浅い表土で保水力も乏しく、入植者たちは自分たちの食料自給にも事欠く状況でした。そこで、開拓の合間に炭焼きをして、その炭をもって、富士市の海岸で当時不足していた塩の生産を手掛けて急場をしのいだという話しも残っています。
■酪農に向いていた気候と広い土地
 しかし、こうした環境も、夏の暑さを嫌う乳牛の飼育には適していました。また広い敷地は、標高差に収量をあまり左右されない牧草の栽培に有利でした。昭和23年には作付け統制令が撤廃、昭和24年には畜産指定村となり、乳牛の導入が始まりました。昭和29年には、高度集約酪農地域指定を受け、これにより、酪農経営一本の体制固めを行い国の貸与牛であるジャージー種の導入が積極的に進められました。
■全国有数の酪農地帯に
 その後も大型機械の導入、農事組合を組織して協同での育成牛飼育等を行い、作業の省力化と規模の拡大を続けてきました。
 そして現在、西富士酪農地帯として、全国的にも有数の酪農地帯となりました。
 
切実かつ重要なトイレの問題
富士山表富士宮口登山組合長
宮 崎 善 旦

 富士山のトイレ問題が環境問題として世の中の注目を浴びてから、早いものでもう8年が過ぎようとしています。
 まず富士山の環境問題への取り組みは、ゴミであふれていた富士山を一度徹底的に清掃することから始まりました。毎年お盆の時期に実施される「富士山をいつまでも美しくする会」の清掃事業や、ゴミ捨て防止などマナー向上の呼びかけなどの活動を通じて、30年近くを経て、登山道などではほとんどゴミは見あたらなくなりました。
 しかし、一方でトイレ問題は簡単には解決できない問題を含んでいます。
 平地では、容易な水や電気の確保が、日本の最高峰、標高3,776mの富士山では、非常にむずかしく、われわれ登山組合をはじめ、富士山でさまざまな営みを持つ富士山本宮浅間大社などの各団体にとっても非常に切実かつ重要な問題となっています。
 富士山では、夏山期間の7月、8月に山梨県側も含めた5つの登山口で約16万人の人が山頂を訪れ、そのうち富士宮口においても約4万5千人が山頂に立つと言われており、一時期に人が集中することにより富士山にさまざまな負荷がかかっています。
■協働で取り組む
 こうした問題を解決すべく、平成8年から登山組合においても浅間大社とともに独自にトイレ問題に対する取り組みを始め、環境にやさしいトイレを調査・研究し、実際に山室などでの実験にも取り組みました。
 時期を同じくして、静岡県においても富士山保全室が富士山のトイレ問題の研究のための「富士山トイレ研究会」を立ち上げました。登山組合も浅間大社と共に研究会に参画し、協働でトイレ問題に取り組みました。
 バイオにより土壌処理する方式、杉チップやおがくずなどを利用した処理方法、パイプラインを使いし尿を運ぶ方式、ブルドーザーで下まで運び処理する方法、持ち帰る方法、乾燥・炭化する方法などのほか、ゴミの捨てにくい便器の研究など可能な限りのさまざまな方法が考えられ、また、実際に実験されたものも多くありました。
 こうしたハード面のほかに、使用する人のマナー向上を呼びかけるキャンペーンを行ったり、水解性のペーパー使用の促進、チップや協力金をいただくといったソフト面での取り組みも行ってきました。
 富士山のトイレ改善の問題は国や県などの「官」、わたしたち「民」、トイレメーカーの「産」のほか、利用者などを含めた大勢の方々を巻き込んで取り組んできた一大事業と言ってもよいかもしれません。
 この富士山での取り組みは、全国の山岳トイレの取り組みにおいても先導的な役割を担い、さまざまなシンポジウムや研究会などでも情報提供を行ったり、他地域の山岳関係者との意見交換も行ってきました。反響も大きく富士山の偉大さを改めて痛感しました。
■富士山への感謝忘れずに
 さてこうした取り組みやデータの積み重ねを経て、いよいよ来年から具体的に富士宮口の山室トイレの改修が始まります。もちろん、いま考えられる最もよい方法で整備が行われます。しかし、トイレが改修されてそれですべて解決したわけではありません。むしろ新たなトイレ問題を始めとする環境問題への取り組みが始まったといっても過言ではないと思います。
 常にわれわれは、富士山の恩恵を受けて、富士山と向き合い、富士山に育まれ生きているわけですから、富士山への感謝や畏敬の念を忘れず、子どもや孫や後世に美しい富士山を引きつながなければならない使命を担っていると考えています。
 富士山との関係、それはこれからも永遠に続く人と自然の共生の関係と言えるかもしれません。