浅 間 神 社
浅間神社の由来
浅間神社は富士山をご神体として、小高い丘の上から霊峰・富士を遥拝する信仰から生まれました。どうして浅間神社と呼ばれるようになったのかは、諸説、伝えられています。どの説も古くは「浅間」を「せんげん」ではなく、「あさま」と読んだことに由来があるようです。
 たとえば伊勢の朝熊社の社名が元とするもの。あるいは、早朝の富士宮の湧玉池の水面から霧が立ち上り、朝雲と名づけたものが転じたとするものなどがあります。

 その中でも有力視されているのは、「祠林采葉抄」に残されている「富士の権現は、信濃の国の浅間大神と一体両座・・・両者ともに浅間大菩薩と申す故なり」の記述。そして「あさま」の意は、マライ語のアサ(煙)からきているのではないか、とする説です。
この「あさま」=「浅間」を、「せんげん」と音読みするようになり、現在に至っています。
河口浅間神社
河口浅間神社(河口湖町)
富士山本宮浅間神社 村山浅間神社
富士山本宮浅間大社 村山浅間神社
浅間神社の分布
 浅間神社は霊験あらたかな神として、頼朝はもちろん国中の人々が讃え、各地に建てられていきました。現在その数は、全国に1300社以上もあるといわれています。他社との合併で浅間神社という社名をはずした神社をあわせると、1900社に近い数になるとも言われています。
 
これは浅間信仰と修験道や角行の富士講などと結びつき、関東を中心に全国的に発展したからです。また、一説によると祭り神の木花開耶姫は、大日如来の垂迹であるという考えが広がり、それが富士講にも影響を与えてきました。木花開耶姫の姉といわれる磐良姫を祭神とする浅間神社もあります。
浅間神社の分布図
浅間神社の分布図