富士山噴火の歴史を物語る個性豊かな湧水湖
●かつて宇津湖とせの海があった
 富士山の北麓には、弓形に並んだ五つの湖があります。西から本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖と五つあるため富士五湖と呼ばれています。これらの湖は、富士山から流出した溶岩流が北側の御坂山地の麓まで流れ、その凹所に溶岩流末端からの湧水によって出来た湖で、山中湖以外の湖は完全に閉鎖されていて、湖から流れている川はありません。
 今から千年程前までは、かつては現在の山中湖から忍野平野付近にかけて宇津湖と呼ばれる湖と、西湖から本栖湖にかけてせの海と呼ばれる二つの大きな湖がありました。
河口湖
河口湖
溶岩流がつくつた「せき止め湖」
 延歴19年(800年)の大噴火によって流れ出た鷹丸尾溶岩流は、宇津湖を山中湖と忍野湖に分け、大田川を埋め河口湖を作り、せの海の一部を分断し本栖湖を作りました。
 忍野湖はその後桂川の侵食によって水が干し上がり、かつて湖底にあった湧水口が現れ、忍野八海と呼ばれる化石湖となりました。
 そしてせの海は貞観6年(864年)の大噴火の際、青木ヶ原溶岩流によってその大半が埋められ、西湖と精進湖に分けられました。いずれも「富士古文書」や「三代実録」によって詳しく伝えられています。
西湖 本栖湖
西湖 本栖湖
山中湖 精進湖
山中湖 精進湖
湖底連結説の謎
 ところで西湖、精進湖、本栖湖の三湖が湖底でつながっているという「湖底連結説」をご存知でしょうか。その根拠として、三湖の湖面の標高がいずれも902m前後と共通している点にあります。
 西湖の水を人工の水路で河口湖へ流すと、それに連れて他の二湖の水位が下がるという事実もあって、三個の湖はつながっていると思われているのです。もともとはせの海という一つの湖だったのですからどこかでつながっていても不思議ではないですね。
 
富士五湖の水深と湖面の高さ
現在の富士五湖
現在の富士五湖
富士五湖の昔
富士五湖の昔
富士五湖で発見されたマリモ
富士五湖で発見されたマリモ
 フジマリモ/マリモといえば北海道の阿寒湖が有名ですが、富士五湖のうち三湖で発見されています。昭和31年(1956)に山中湖、昭和54年(1979)に河口湖、平成5年(1993)5月に西湖で。山梨県教育委員会は、こられ三湖のマリモを一括して「フジマリモ及び生息地」として天然記念物に指定しています。