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流域オンライン


 「お父さんやお母さんが子供の頃のように川で泳いだり、魚を捕ったりして遊びたい。自分たちの遊び場は自分たちでつくろう」と豊田市立西広瀬小学校の子供たちが、矢作川と飯野川(矢作川の支流)の水質調査を始めたのは28年前の昭和51年。この頃の日本は高度成長のまっただ中で、矢作川はゴミとにごった水の流れるドブ川のようでした。調査を続ける西広瀬小学校の子供たちは『矢作川の小さな見張り番』と呼ばれ、その活動は豊田市の河川美化運動が全市的な市民運動へと大きな広がりをみせるきっかけにもなりました。
 子供たちの水質調査は、後輩へと次々に受け継がれ、平成15年11月18日には連続一万日を達成しました。「毎年2月に来年度も調査するかどうか児童会で話し合うのですが、今まで“止めよう”という意見は誰からも出たことがない」のだそうです。子供の自主的な発案からスタートしたことが、一日も休むことなく調査し続けることのできた“秘訣(ひけつ)”なのかもしれません。また、少子化などで減少した児童数でも調査が続けられるよう、昭和58年には卒業生や保護者からなる『水質協力者』が誕生。現在まで土・日曜と祝日は子供たちに代わって調査を行っています。平成12年の東海豪雨の時は、当時の校長先生自ら、学校前の県道にまであふれていた川の水をガードレールにつかまりながら採水するなど、水質調査を続けることは地域のみなさんの使命感にまで高まっているようです。
 その昔、3メートル下の川底まで見えたという矢作川。水質測定室のある『清流の塔』には、河川美化の目標として、3メートルまで計ることのできる『透視度計』が置かれています。2・3年前から親に続き『見張り番二代目』という子供もいるとか。美しい矢作川に子供たちの歓声が響くその日まで、水質調査は続けられることでしょう。

水質によって色の変わる試験紙を使ってpH(ペーハー)値を測定します。
始めた時は30cmの透視度計でしたが、今では150cmのものを使用。矢作川の水はずいぶんキレイになりました。
採水した川の水は、水質測定室のある『清流の塔』に運びます。高さ10mの建物には、道行く人たちにその日の透視度を知ってもらうために『透視度表示板』が取り付けられています。
毎日の水質の変化はノートやグラフなどに記録しています。
測定結果はFAXを使って、豊田市役所、矢作川漁業協同組合、地元の新聞社に送っています。    

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