豊川の恵みは、時代を超えて。 |
東三河の中で、豊川は大きな役割を担っています。
産業に、暮らしに、そして自然に、いつの時代も豊川は、たくさんの恵みを与えてくれました。
その役割はもっと重要になることでしょう。
この豊かな流れを未来にバトンタッチするために、今できることから、着実に進めていきます。 |
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豊川と東三河の歴史 |
豊川の流路は、かつては幾筋にもなって豊橋平野を流れていたと言われていますが、頻繁に洪水を繰り返し、沿岸の人々を悩ませていました。
その為、豊川中下流部では江戸時代より、霞堤と呼ばれる不連続堤が設けられ、それにより吉田(今の豊橋市)の城下町は洪水から守られ、陸上(東海道)交通
や水上交通の要衝として大いに栄えてきました。
また、川の流路が固定されたのに伴い、農地開発も進み、豊川の水は、松原用水や牟呂用水を通 じて沿岸の土地を潤してきました。
しかしながら、これらの土地は、大雨が降ると一面水浸しになっていましたが、豊川放水路が昭和40年に完成したことにより、沿川の洪水被害は格段に緩和されるようになりました。
また、豊川の水は昭和43年に完成した豊川用水により渥美半島等へも導かれ、利用されるようになりました。
このように東三河は、豊川の洪水と闘いながら、その恵みにより大いに発展してきました。 |
豊川データ |
源流 |
段戸山(1,152m) |
流域面積 |
724km2 |
幹川流路延長 |
77km |
流域内人口 |
約22万人 (H17基準河川現況調査) |
利水市町村人口 |
約81万人 (H22国勢調査) |
年間降水量 |
1,800〜2,400mm |
東三河のふるさとの川、豊川。それは豊かさの源です。 |
農業に、工業に、そして生活用水に、豊川は私たちにたくさんの恵みをもたらしてくれます。
しかし、ここまで来るには、先人たちの数々の努力があり、私たちもこれを維持して、より良くしていく努力を怠ってはなりません。 |
安全を地域に |
豊川の治水は、古くから霞堤と呼ばれる不連続な堤防が中下流部に設けられ、洪水が霞地区内に遊水することで、下流部の浸水被害が軽減されてきました。しかし反面
、霞地区では洪水の度に浸水に悩まされ、この被害が甚大であったことから、昭和13年に国による直轄改修がスタートし、抜本的な治水対策として放水路が昭和40年に完成しました。
その結果、洪水の被害はかなり軽減されましたが、なお発展する流域内の人々と財産を洪水の危険から守るためには、まだ十分とは言えません。
洪水による災害は、何時起きるか分かりません。今迄何十年間も大丈夫だったから、今後も安全だというものではありません。
そのような事態に備えて、洪水に強い豊川をつくるためには、豊川の改修事業を進めるとともに、上流に洪水調節等の目的を持つ設楽ダムの建設を進める必要があります。 |
平成15年8月出水
豊川放水路
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川の恵みを地域に |
豊川の水は、豊川用水等を通じ東三河一帯の産業の発展を支えてきました。しかしながら、近年、頻繁に渇水が発生し、地域の発展とともに益々水の需要が増大すると考えられる中で、豊川の水量
が極端に減少することがあります。
地域の発展を支える水を安定的に供給するとともに、豊川の豊かな流れを回復させるためには、既存の利水ダムと一体となって水資源開発を行うとともに、渇水時の河川流量
の増加や、今ある用水を安定的な取水を可能とすることなどを目的とした設楽ダムの建設を進める必要があります。 |

平成6年8月
干上がった宇連ダム
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川の潤いを地域に |
豊川には、河畔林をはじめ豊かな環境が多く残されており、また河川水の水質も良好で、まさに東三河の人々にとってのふるさとの川になっています。
この水と緑の広大な空間は、身近なレクリエーションや憩いの場として盛んに利用されています。
また、豊川には多くの動植物が生息し、豊かな生態環境を有していることから、これらの生態系にも配慮しながら潤いと親しみのある川づくりを進めていく必要があります。 |
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サワガニ
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イシガメ
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クマタカ
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オオタカ
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トノサマガエル
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カワヨシノボリ
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ネコギギ
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