今後は外を点検することにし、やはり校長、教頭と私が土石流の土塊や侵食された溝に注意しながら、フェンスの地点まで歩いて農協の方向を見ました。広町では、農協の稚蚕室の2階に避難している様子がうかがえました。次に、暗がりの中を上流の方向に電灯を向けてみました。グランドの入り口付近(校門付近)は、東方渓流の水通しとして、直径2mぐらいのヒューム管を寺沢川に通しており、その上が道路となっています。そこに何かが詰まってダムアップしていて、破壊された家の材木らしいものがおびただしく浮かんでいました。これは突然決壊(トッピング)の恐れがあるので大変です。ただちに農協の避難者らに伝えなければなりません。体育館の玄関を出て、フェンスの地点に行き大声で呼んでみました。こんなとき、大声も大変大切なものであることを痛感しました。私の声は低音で届かないのです。運良く校長の声はものすごく高く、たちまち皆に聞こえました。上の集会所に避難し直すように告げ、了解されました。このとき、校舎および校庭の北側は崖となっていました。
![]() 写真-1 小渓流を埋め立てて造成した学校なのでグランドに元の地形が現れた |
![]() 写真-2 午前中に流出した家屋 |
![]() 写真-3 グランドから見た体育館 |
![]() 写真-4 写真-2の方向で、手前からみた中学校 |