第2部  I太田切川橋場礎石 駒ケ根市 光前寺へ通じた橋の跡  丸みを帯びた巨石は太田切川のほぼ真ん中にあった。流れが強く、近寄れなかったが、上部にくぼみがあるのは堤防の上からも確認できた。  太田切川は荒れ川で、礎石は砂れきに埋まっていたという。駒ケ根市立博物館が1973年に発行した「駒ケ根の史蹟と文化財」によると、発見は67年。堰堤工事中のことで、橋場跡と呼ばれていた場所の河床下約1メートルのところから見つかった。  高さ3メートル、横4〜5メートルの花こう岩。石の上部表面には直径35センチ、深さ13センチの柱穴があり、かつては「はね橋」の橋脚が座っていた。同市在住の民俗研究家、塩澤一郎さんは「大水が出ると流れてしまう橋だったが、地域の人だけでなく、光前寺も修理費を負担していたのをみても、光前寺への道として使われていたのだろう」と推測する。  渡河地点近くの駒ケ根市側、宮田村側には、それぞれ歴史上の遺構を示す「春日街道橋場跡」の石碑があった。  (文・倉田高志、絵・片桐美登)