<39>伊那路橋(箕輪町東箕輪−中箕輪)  威厳放つ主要街道の橋 江戸時代中期に橋が架けられ、伊那路と江戸を結んで中馬輸送を支えた街道の橋。伊那路と中山道の下諏訪宿を、最短で結ぶ岡谷道(諏訪道)の整備とともに往来がさかんになった。当時の橋は「大橋」と呼ばれ、諸経費を幕府が負担する主要街道の橋≠ニ位置付けられていた。 伊那路橋と命名されたのは、一八七七(明治十)年ごろで、当時は長さ六十三メートル、幅三・六メートルの板橋だった。一九三三(昭和八)年には、長さ六十メートル、幅五・五メートルのコンクリート橋になった。 橋の入り口には、煙突形で根元が太くなった立体物が置かれた。欄干と袖は、円形の縁取りの中に、角丸の十字模様が大きく抜かれたモダンなデザインだった。 現在の橋は一九九四年に架け替えられ、長さ八八・七メートル、幅十二メートル。欄干と袖以外は旧橋のデザインを受け継ぎ、小ぶりになった立体物の上には、球が置かれている。 現在でも主要な橋として、多くの人々が行き交う伊那路橋。存在感ある橋の姿に、威厳を感じた。(札木良)