<28>めがね橋[長姫橋](飯田市)  地域近代化一役果たす 飯田市中心街の一角。銀座一丁目と伝馬町一丁目をつなぐ橋は、一九七八(明治十一)年に造られた石橋がルーツ。交通量の多い橋の下に立つと、名前の由来となった石造りのアーチが見えた。 江戸時代、城下町の飯田は深い谷川で二分され、人々は谷の木橋を渡るために急坂を上り下りしていた。明治維新後、橋の前後の坂を埋め立てることになり、頑固なアーチ橋が築かれた。 工事は主に上郷村(現・飯田市)の住民が担った。橋の材料には、廃城となった飯田城の城郭の石を使用。士族は建設のための寄附金を寄せた。橋は城の別名にちなんで「長姫橋」と名付けられたが、半円形のアーチの形から「めがね橋」と呼ばれるようになった。 馬車が通れる橋は重宝され、飯田の町の近代化にも大きな役割を果たした。日本が大きく変わった時代、立場を超えて協力し合った人たちの思いが、一本の橋に結実した。(中山道雄)