<14>千人塚公園と城ヶ池(飯島町七久保) 戦国と今つなぐ架け橋 千人塚公園には戦国時代に山城があった。一五八二年、織田信長の長男信忠軍が侵攻して落城。その際に、討ち死にした武士や武具などがこの地に埋葬されたため、「千人塚」と呼ばれるようになったという。 公園内の城ヶ池はもとは城の空堀だったが、昭和初期に与田切川の源流から水を引いて以来、かんがい用のため池として使われている。雪解け水はため池で温められた後、田畑に配水され、同町と中川村の約二百ヘクタールを潤している。二〇一〇年、ため池の役割を見直し保存する目的で、農林水産省の「ため池百選」に選ばれた。 日本初のマレットゴルフコースも公園内にある。毎年六月、JAICA駒ヶ根青年海外協力隊訓練所の外国語講師らが参加した世界大会が開かれている。 同町七久保の団体職員宮下文彦さん(七一)は「十五年ほど前は、冬場は氷が張ってスケートができた。幼いころ、学校へ行くよりも先にスケートをしていたよ」と話した。 戦国時代の遺構が、農業に欠かせないため池に生まれ変わった。戦国の世と現在をつなぐ架け橋のように思えた。(札木良)