第2部 J伴野(ともの)堤防 豊丘村 村人有志の開墾組が建設  下伊那郡豊丘村の天竜川左岸。虻川の合流点からやや下流に石碑が並んで建てられていた。一つは「開墾組彰功之碑」で、もう一つが「松尾千振(ちふる)頌徳碑」だった。2基の石碑の間からは、対岸の惣兵衛堤防辺りがよく見えた。  旧伴野(ともの)村は、惣兵衛堤防からの水はねで、大水のたびに被害を受けた。住民らは田畑を守るために冬場に堤防工事を行っていたが、築いては流される状態だったという。  松尾千振が河原の土地を所有する村人に堤防修復の必要性を説いたのは1883年11月。松尾を中心に、開墾組が創設され、築堤と開田の事業が始まった。洪水による流失を繰り返しながら工事を続け、松尾の死去後も遺志は引き継がれた。事業は大成し、開墾組は解散。彰功之碑が1909年に建てられた。  61年の豪雨災害「三六災害」で伴野堤防は壊滅的な被害を受けた。その後の復興事業により、今は近代的な堤防が地域を守っている。  (文・倉田高志、絵・片桐美登)