<24>松川プール(飯田市鼎中平)  川の水を引き入れ建設 一九二五(大正十四)年、鼎村(現飯田市鼎中平)の本田亥太郎が私有地を提供し、近くを流れる松川の水を引き入れた「松川プール」を建設した。 当時、飯田下伊那に同様の施設はなく、夏場には多くの人たちが来場。水泳大会も開かれ、レジャーの場として親しまれた。三八(昭和十三年)に撮影された写真には、事故防止の見張りに使われた舟が映っている。 日本が戦後の高度経済成長期を迎えた六〇(昭和三十五)年七月、住民の要望が大きかった飯田市民プールが吾妻町に完成。長く愛された松川プールは、その役目を終えることになった。現在は結婚式場の敷地内の池となり、周辺は桜の名所としても知られる。 「丘の上」と呼ばれる飯田市中心街は台地上にあるため、かつては生活用水の確保にさえ苦労した。川を生かして造られた松川プールは、そんな地域の歴史の一端を伝えている。(中山道雄)